たぶんかなりの駄文になるので。
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吉行淳之介の文章に、たびたび「乾いているのがよい」という表現が出る。
これは要するに「湿っぽい」の対義語である、というだけでは説明できない。
吉行が肉体的に弱く湿度に対する弱さがあったのは一つの前提として必要だが、
気候としてではないとらえ方も当然必要になってくる。
何が乾いているのか、であるが、吉行の用法を見る限りこれは一つに自然であるということがあるだろう。
もちろん自然というものはそれほど乾いたものでもないが、
人間の意志、もしくは意識というものに比べればましである。
結局その程度の意味で、ただし人工物においてもいろいろある。
たとえばグラスというものはなんとなく乾いた印象を受けるかもしれないが、
これは人が目的をもって作り上げているという背景をみるとやはり湿っぽい。
しかしこれをたまたま落して砕いたとして、その破片はかなり乾いたものに思える。
重要なのはたまたまという部分で、そこに意思が加わるとなるとこれはだいぶ陰湿である。
「あっけらかん」といういまどき見かけることはほとんどない表現があるが、
これも乾いているということになるだろう。
ただし人間が本質的に湿っぽいのはしょうがない。
無邪気というのも乾きにつながりえるが、
それを見る周りの視点というものはどうしても湿度を帯びることになるだろう。
湿気の中に乾いたものをそのままに保つのは大変に難しい。
人間関係の話になるが、どうも基本的にみんな湿っぽいのである。
僕自身を当然含んでいるが、これはどうも好ましくない。
結局ひとつの環境にいる以上その環境、背景を消し去ることはできないし、
また消し去る努力をする必要もないのだが。
僕が家族をその構成員としてどうしても好きになれないのは、
背景の同一を色濃く感じるからだろうし、またそこに安住せざるをえないからだろう。
しがらみというでもないが、結局個人を独立してとらえるのは不可能かもしれない。
しかしまあ背景にのまれているような人間が世の中には多くいて、
どうもそういう奴らを好きにはなれない。
一度風を通すだけで大きく変わると思うのだが。
簡単に要約するとこんな感じ?
乾き・・・自然な現象または行為。
自然な現象の行為としては「無邪気」があげられる。
湿り気・・・不自然な現象または行為。人の意志に基づくものが多い。
人間関係においてはこちらのほうがよく見られる。
これは私が考えたことなんですが、
乾き=個人的・主観的な行為。
湿り気=社会性に基づく行為。社会的概念に縛られる。
って定義できませんでしょうか?
なんていうか、大人になっていくうちに社会性を意識せざる終えなくなり、社会や周りの空気にあわせなきゃいけなくなる。すると、人間関係においてもなるべく万人に通用するような意見しかいえなくなる。それを湿っているとG-songさんはとらえているのでは?
この「渇きと湿り気」の話と直接関係ある話かどうかはわかりませんが、最近の人たちは、無駄にかっこつけてみたり気張ったりする人が多い気がします。これって、自分の体を自分で縛り付けているんじゃないかなって思います。きっと、このような人たちは周囲の人々から好印象をもたれたいが為にしているんだろうけど、そんなことで他人に認めてもらってうれしいんでしょうか?それって、その人個人個人の内面が見られてませんよね。そんなことせずに、もっと子供の頃のように「無邪気」になってもいいですよね。例えば、『夜道を手を大きく広げて走ってみたり』とか。社会の鎖の束縛から開放されて新しい世界が見えてきたりして・・・・・
P.S.
なんて駄文。下手すると、駄文というどころか狂人記みたいになっとる。意味不なところがあったら、指摘してもらえるとうれしいです。