記事タイトル→2008-04-23 Wed  渇き記事タイトル←

たぶんかなりの駄文になるので。*
吉行淳之介の文章に、たびたび「乾いているのがよい」という表現が出る。
これは要するに「湿っぽい」の対義語である、というだけでは説明できない。
吉行が肉体的に弱く湿度に対する弱さがあったのは一つの前提として必要だが、
気候としてではないとらえ方も当然必要になってくる。

何が乾いているのか、であるが、吉行の用法を見る限りこれは一つに自然であるということがあるだろう。
もちろん自然というものはそれほど乾いたものでもないが、
人間の意志、もしくは意識というものに比べればましである。
結局その程度の意味で、ただし人工物においてもいろいろある。
たとえばグラスというものはなんとなく乾いた印象を受けるかもしれないが、
これは人が目的をもって作り上げているという背景をみるとやはり湿っぽい。
しかしこれをたまたま落して砕いたとして、その破片はかなり乾いたものに思える。
重要なのはたまたまという部分で、そこに意思が加わるとなるとこれはだいぶ陰湿である。

「あっけらかん」といういまどき見かけることはほとんどない表現があるが、
これも乾いているということになるだろう。
ただし人間が本質的に湿っぽいのはしょうがない。
無邪気というのも乾きにつながりえるが、
それを見る周りの視点というものはどうしても湿度を帯びることになるだろう。
湿気の中に乾いたものをそのままに保つのは大変に難しい。

人間関係の話になるが、どうも基本的にみんな湿っぽいのである。
僕自身を当然含んでいるが、これはどうも好ましくない。
結局ひとつの環境にいる以上その環境、背景を消し去ることはできないし、
また消し去る努力をする必要もないのだが。

僕が家族をその構成員としてどうしても好きになれないのは、
背景の同一を色濃く感じるからだろうし、またそこに安住せざるをえないからだろう。

しがらみというでもないが、結局個人を独立してとらえるのは不可能かもしれない。
しかしまあ背景にのまれているような人間が世の中には多くいて、
どうもそういう奴らを好きにはなれない。
一度風を通すだけで大きく変わると思うのだが。
小説よもやも ・ COMMENT[4];Top

コメント→No.1810 コメント←

こういう話結構好きです。
簡単に要約するとこんな感じ?
乾き・・・自然な現象または行為。
     自然な現象の行為としては「無邪気」があげられる。
湿り気・・・不自然な現象または行為。人の意志に基づくものが多い。
      人間関係においてはこちらのほうがよく見られる。


これは私が考えたことなんですが、
 乾き=個人的・主観的な行為。
 湿り気=社会性に基づく行為。社会的概念に縛られる。
って定義できませんでしょうか?

なんていうか、大人になっていくうちに社会性を意識せざる終えなくなり、社会や周りの空気にあわせなきゃいけなくなる。すると、人間関係においてもなるべく万人に通用するような意見しかいえなくなる。それを湿っているとG-songさんはとらえているのでは?

この「渇きと湿り気」の話と直接関係ある話かどうかはわかりませんが、最近の人たちは、無駄にかっこつけてみたり気張ったりする人が多い気がします。これって、自分の体を自分で縛り付けているんじゃないかなって思います。きっと、このような人たちは周囲の人々から好印象をもたれたいが為にしているんだろうけど、そんなことで他人に認めてもらってうれしいんでしょうか?それって、その人個人個人の内面が見られてませんよね。そんなことせずに、もっと子供の頃のように「無邪気」になってもいいですよね。例えば、『夜道を手を大きく広げて走ってみたり』とか。社会の鎖の束縛から開放されて新しい世界が見えてきたりして・・・・・

P.S.
なんて駄文。下手すると、駄文というどころか狂人記みたいになっとる。意味不なところがあったら、指摘してもらえるとうれしいです。
2008-04-27(Sun) ・ 投稿者[ReGain] ・ 編集 ・ Top

コメント→No.1811 コメント←

>Regainさん
個人的な行為が社会から切り離されては存在しえないわけですよ。
金が欲しい、とか名声を得たい、というのもかなり個人的ですけど社会的な背景が必要ですし。
また周囲に縛られている状況からの解放を求めた動きというのは、
どうしたって独立に存在はしえないわけです。
子供が無邪気ってのも実は胡散臭い話で、子供は子供の領分の中で立派に社会的です。
というより周りが子供に対応した社会を形成しているというか。
その点では無邪気よりは無為というべきかもしれませんな。
2008-04-28(Mon) ・ 投稿者[G-song] ・ 編集 ・ Top

コメント→No.1818 コメント←

個人的な行為が社会から切り離されては存在し得ない。最もなことです。大体人間社会は個人を基本単位として構成されているわけですし、それから考えれば社会の力って個人の力の総和、あるいはお互いの個人の力の相乗効果によりそれ以上の力を保持するものだと定義できると思います。つまり、社会は個人なんかよりとてつもなく強大で、自分の身が社会という世界に従属・束縛されるのは「自然」なことなんでしょう。もし、この自然に逆らうとしたら、「不自然」な行為を行う主体として社会から排除されるわけです。
しかし、近頃の人々は社会に従属・束縛されすぎって感じがする。これが、私の言いたいことで、前のコメントの主張。別に社会から離脱せよと言っているわけではないです。そうしたら、社会から抹殺されてアボーンしちゃいますもの。もうちょっと、「周りがこんな感じだから、じゃあそうするか」とかそういう社会的観念だけじゃなくて、もっと幅広い視野をもつことができる個人的発想に基づいた行動を取ったっていいじゃない。ってことかな。

まあ、こういうある意味幼稚な考えが出来るし言えるのもまだ私が若いからなんでしょうね。もし、年配の方にこんな話をしたら「若いねえ」とか言われそう・・・・

誠に勝手ながら論を収束させてしまえば、G-songさんと私とでは「社会と個人の関係」に違和感を抱いている点は同じ。しかし、現実問題、どちら側を重視するかが違うんでしょうね。G-songさんは現実認識として諦めているようですけど、私はまだ高校生なんで多少は対抗してみたいと思います。
2008-04-30(Wed) ・ 投稿者[ReGain] ・ 編集 ・ Top

コメント→No.1821 コメント←

>ReGainさん
いいたいことはいくつかあるが、僕だってまだ若うわなにするや
それはさておき、自分の意見を年齢なんて言うくだらないものに頼らないでね。
意見が変わるのは当然ではあるんだけど、今現在の自分を絶対視しよう。

自然と否とを判別するのは難しいのでもうそこには触れないけど、
僕も別に社会性を重視するつもりないよ。個人意志もたいして重視しないけど。
君の表現を真似るなら、「周りがこんな感じだけど、なんでそうなんだろう」って感じの姿勢を持ちたい。
ただ、これは個人的な発想ではないと思うけどね。

僕はかなりアウトローなんで全然現実を受け入れていないし、
とはいえ無視もしないっていうことです。評価も下さない。良し悪しはない。
かなりたゆたった変な発想なんで人に勧められるものでも説明できるものでもないけどね。
2008-05-01(Thu) ・ 投稿者[G-song] ・ 編集 ・ Top

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