記事タイトル→2008-02-13 Wed  bitter better bite記事タイトル←

足切りされなかったのでバレンタイン小説。どんな理由だ。

今回は時期ネタのくくりですけど、キャラはいつものじゃありません。
学園祭のときの小説に使ったキャラを使い回しです。
まあたぶんそれを読んでいなくても大丈夫です。たぶん。
タイトル、本当は「bitter better butter」にするつもりだったんですが、
よくよく考えるとバターなんて出てこないのでやめました。

*
 彼は歩いていた。いかにも不安定な足取りはふらついているといったほうが的確かもしれぬ。だが彼がただふらついているのではなくあくまでも目的地に向かっているということを考慮すれば、やはりこれは歩くというべきであろう。

 歳はまだ十代後半、少年と呼ぶべきかも知れぬがその顔はあまり若さを兼ね備えているとはいいがたく、世界の不幸を背負っているかのような、沈鬱と呼ぶに足る苦味を浮かべている。学生服はそれなりに整っていたが風体にはあまりかまわぬ種類の人間らしく、後ろ髪はやや寝癖がかっていた。靴は大分履きつぶしたものらしく、買った当初は漆黒であったに違いないその革靴もいまやかすれてしまっている。

 この少年がどこを目指し、かくも陰鬱に歩いているのか。午前中に学生が学生服を着て歩いている以上、これは学校でなければなるまい。彼は学校へ向かっているのであった。しからば何故これほどまでにその足取りは重いのであろうか。シェイクスピアも言うように、少年たちは学校に行きたがらないものではあるにせよ。宿題を忘れた? いいや宿題なんぞいっぺんだってしたことのなさそうな顔つきである。遅刻しそう? 寝癖頭という部分から推測したのなら、すばらしい推理力であるといっていいだろう。しかし、それならばもうちょっと急いだってよさそうなものだ。とうに諦めているから? それもまたいい指摘のようだが、彼は実は皆勤賞であるし、なにより始業時間にはまだ遠い時間だ。

 彼をこのまま観察したところで理由はわからない。だが、単にある種の紙を見れば諸君らの幾人かは彼に同情し、涙し、また親近感が湧くことであろう。その紙とはつまりカレンダーで、要するに今日は二月の半ばも半ば、十四日なのである。世相の人々はこの日をバレンタインデーと呼び、日本ではチョコを渡しあるいは受け取っているのである。

 少年がこの日を忌み嫌う人種であるということは、つまりそのチョコの贈与あるいは享受とは関係をいまだかつて持ったことのない、あるにしてもその母、あるいはあからさまな義理から来るものしかもらったことのない類の人間であると推測して差し支えあるまい。いったいこの愛と欲に満ち溢れた行事に縁のない人間は数え切れないほどおり、また密接に関係を持つものも少なからず存在するもので、その階級差はまさに現代のカーストとも呼ぶべきであろう。

 ここで断っておくがこの文章はあくまでも男側の、日本ではチョコを受け取る側となっている立場の人間の考えに基づくものであり、女性がこの日をどう認識しているのかはまったく関係がない。ともあれ世の女性諸氏は周囲の男性がこの日をすべからく無視できないものとみなしており、できれば自分と深い関係にある日であると胸を張って言いたがっているという事実だけはわかっていただきたい。

 さて、こんなことを言っている間にちらほらと少年の歩く道に同じ学生服を着た少年たち、あるいは女子用の制服を着た少女たちが見え始めた。少女たちは顔見知り同士で固まってなにやら盛り上がっており、大方チョコを渡すかどうか、もしくは互いが多かれ少なかれ手間をかけて作った作品について話しているのだろう。少年たちは、これだけの人数がありながら顔を見知ったものが居ないのか、あくまでも個人個人で歩きながらその耳を少女たちへと傾けている。どの男たちも、悲しいかな、おそらくはカーストの最下層に属すべき人間、つまりは今日という行事に縁など今も昔もこれからもありそうになかった。そんななかにわれわれの注目した少年も混じっていたわけだが、悲しいかな、彼もまたその類にもれず、視線を落としたまま聴覚を研ぎ澄ませているのであった。

 時折、これは実際まれな話だが、男の中にも不届きな輩がいる。これは世間一般の男から反感を買いながらも完全に憎まれることもなく、また異性からの人気の高い男である。いくら珍しい人間とはいえ、この通学路にこのような人物が皆無であったわけでは無論ない。ただそのような人物はその姿勢を見ればすぐにわかる。視線はあくまでも前を向き、女子が何を噂しささやき合おうとまるで意に介さないのである。その姿を見て自らを振り返る者はただ空しくなるばかりであるし、それをしない者はただ哀れなるのみだ。白旗を揚げたところで状況が変わるでもなく、羨望の目線はやめられぬ。こうして超人はやっかみから周りからは同性愛者扱いをされ、あろうことか実際にその手の人種であったりすることもあるのが世の奇なるところである。

 かといってこんな日に少年に眼を向けるものはいない。みなが自分のことで精一杯である。
ここでそろそろ少年という呼び名がまだるっこしくなってきた。少年は川越というのである。別に山田でも佐藤でも鈴木でもかまわないといえばかまわないのだが、それではやはり物語の進行上妨げが生じる恐れもある。名前なんぞはごくいい加減なもので、名は体を表すという言葉もあるがあくまでもその恣意性から、本質にはかかわりのない言葉に過ぎない。

 川越少年は教室に行き、辺りの視線をうかがいながら何も入っていない机の引き出しに手を入れた。人よ、この行動を笑ってはならない。愚かに思えてもこれが若さの本質であり、また悲しさなのだ。本人もそれを自覚しているらしく、空しい気持ちになるばかりだというのにやはり机の中を探らないわけには行かないのだ。
 さて、それでも川越少年はめげずに、もしくは学生の本分を思い出し机に教科書、ノート、筆箱を並べた。すると少年の隣の席に一人の女子生徒が腰掛けた。
「おはよう」
「ああ、おはよう。今日は遅いな」
「そうでもないよ。あ、でも普段より一本遅かったかな」
 少女はそういって笑った。それにつられて少年も笑う。
 少女の名は岩切真帆といった。もっとも、別に田中花子でも差し支えはない。付け加えることがあるとすれば、川越少年とは同じ演劇部に所属しているということであろう。それともう一つ、学年でもっとも肉体の成熟度が高い、つまりはまあ凹凸の大きいということで男子の間では時折話題に上ったり上らなかったりする種類の人間でもある。
「今日、バレンタインね」
 少年の体があからさまに反応した。居心地悪そうな表情を浮かべ、それでいて期待しているようだった。
「チョコ貰えた?」
 少女の観察力をもってすれば川越少年のチョコレート事情など無論たやすく見抜いているわけだが、そのうえで改めて少女は尋ねているのであった。これは意地が悪いというわけではなく、単に少年の困惑した表情を見たいがためらしかった。それを意地悪ということもまた出来ることは確かである。
「あいにくだが、ゼロだ。君がくれれば話は別だが」
「お金くれれば買ってあげるよ?」
「ああ、そういうと思ったよ」
 少年は深くため息をついた。それならばいくらも期待はしていないはずで、やはり本当のところはチョコをくれると思っていたのだろう。
「あいにくだがそこまで落ちてはいないつもりだ。ところで宿題ってなんか出てた?」
「宿題? 数学と英語と物理で出ていたわね。あ、あと化学も」
「え? あ、ちょ、ちょっと待ってくれ。どうも頭が痛くなってきた。これは早退したほうがいいかな」
「やってないの?」
「あ、いや、まあそういうこともあるのかもしれない。もう一度聞いておくが、宿題は出ていたのだったかな?」
 少女は怪訝な顔つきで先程と同じ言葉を繰り返した。少年の顔色は登校中のそれよりもさらに悪くなっており、チョコなどどうでもよくなってきているようだった。
「要点をまとめると、宿題はたくさん出ているということだな」
「大してまとめるほどの内容でもないと思うけど、たぶんそうだね」
 少年は机に広げた教材を鞄に戻し始めた。少女はその行為を理解していないらしく、ぼんやりと見守っている。
「じゃあ俺は部室に行ってくる。後は頼んだ」
「頼むって何を?」
「岩切も演劇部入ってから結構経ったよな。ほんと、見違えるほど上達したよ」
「なに、急に。恥ずかしいじゃない」
 少女はまんざらでもなさそうな顔をして照れている。
「ということで『川越』という声が聞こえたら『はい』とだけいってくれればいい。では」
「ちょっと待ってよ。サボるの?」
「急用が出来た」
「どんな?」
「それを考えるという急用だ。急務だ」
 川越少年はそれだけ言い残してすばやく教室を出て行った。残された少女は自体をいまだしっかりと把握できていないらしく、おろおろとするばかりだ。

 するとそこに教師が入ってきた。少女は慌てて授業の用意をし、横の空席を見て再び慌てだした。そして悲しいかな、少女の演技力ではまだ男の振りをするのは早かったらしかった。

 事情を知らない教師は少女を一通り叱った後、少年の居場所を尋ねた。少女は戸惑った挙句、知らない旨を述べた。先程の少年の言葉を忘れたわけではなく、単にかばっただけである。

 授業が始まり、少女は鞄の中にある包み、中には無論チョコレートが入っているわけであるが、その包みに触れた。

 最初から岩切は川越にチョコをあげるつもりであった。これは友人という意味でもあり、また青臭いことに、思春期にありがちな感情の故でもあった。それならば何故すぐに渡さなかったのか。これは、一つには少女が内気であるがためにこのような代物を少年に渡すことに並々ならぬ抵抗を覚えたからであり、またもう一つには普段の関係からつい金がどうこうという無駄話をしてしまったからである。

 また、恐ろしいことにこのチョコは手作りなのであった。といっても市販のそれを融かし形作って固めただけではあるのだが、それでもやはり世間で言うところの手作りなのであった。過去にチョコをいじったことのない、それどころか普段料理なんぞしたことのない少女にはかなりの労力が要った。その労力の大半は散らかした台所の片付けであったにせよ、確かに労力と呼ぶに相応しいものであった。その結果はどうであったか。わからないのである。おそらくは大丈夫である、としか言いようがない。少女は味見一つしなかったのである。なぜか。怖かったのだ。なにが。不味くてとても食べられないようなものであったら、費やした時間と金とが無に帰すからだ。どうせ他人に食べさせるものである。うまかろうが不味かろうがたいした問題ではないのだ。

 少女の悩みは、このチョコをいつどうやって渡すかである。さっきの会話はその点では最悪だった。これでは少年の前にチョコを出したところで、彼の財布の紐がしまるのが関の山であろう。いまだかつて義理チョコならともかく本命を渡したことはなく、また川越少年の鈍いことは筋金入りであるから、渡したところで気づかれない虞もあった。ならば気軽に渡してよさそうなものであるが、思春期の悩みなどそのほとんどが必要のない悩みを自ら見つけているだけなのである。

 ただ、もう一つ悩みがあるとすれば、川越少年はつい先日まで別のある女性が好きだったということである。それは先日婚約を発表し、春には式を挙げる予定である演劇部顧問の養護教諭で、川越は彼女に惹かれて演劇部に入ったのであった。少年が失恋をしていくらか時間が経ったとはいえ、やはり少年は今でもある程度以上にその女性を意識しているのは明白だった。
「手紙でも書いて入れておけば? さすがの川越でも手紙を食べたりはしないでしょ」
 放課後、相談した友人はあっさりと答えた。
「桃音ちゃん、ちゃんと答えてよ」
「だって渡すだけでしょ? あ、じゃあ私が代わりにあげてこよっか?」
「だめだよそんなの」
「なんでさ?」
「自分で渡したいじゃない」
「じゃあ渡しなよ」
「・・・いじわる」
「誰がいじわるよ、まったく。要するにあれでしょ? おそらく相手も自分のことを嫌ってはいないだろうけど好きでもないだろうし現在のつかず離れず的状況でもそれなりに幸せで、もしチョコを渡して振られた挙句にこの関係すら失うのは嫌だし、みたいな」
 さほど要約されているようには思えなかったが的は射ていたらしく、少女は何事か反論しようと試みるものの口をパクパクと動かすばかりで何一つ声は出なかった。少女を眺めていた友人は、大きく息をついた後立ち上がった。
「よし、わかった」
「へ? なにが?」
「私がセッティングしてあげる。いや、楽しそうだなんてことはまったく考えていないから安心して任せて。大船に乗ったつもりで。タイタニック級、いえ、むしろ戦艦大和並な排水量で」
「ど、どっちも沈んでいるだけど」
「とにかく安心しなさい。さて、川越はどこ?」
「た、たぶん部室」
「よし、じゃあ行くわよ」
「私も?」
「当たり前でしょうが」
 部室では川越少年が豪快に寝ていた。劣悪なる環境化にあっても人は適応し、順応していくという見本である。この部屋に稀にしか訪れない少女の友人はその埃と黴とに満ち溢れた臭気に顔をしかめた。
「おい、起きなさい、川越。さもなくば死ね」
 そういって乱暴に蹴りを入れると、少年は床に倒れてまだ眠り続けていた。これはむしろ蹴りを入れた結果として眠る、もしくは意識を失っているのかもしれない。だがそんなことにかまうつもりはないらしく、床に転がった少年を蹴り続けた。
「ちょ、ちょっと、そろそろやめてあげないと」
「そうね、埃が舞うし。さっさと起きなさいよ、川越」
「なら蹴るのをやめてくれ」
 そういって起き上がった少年は体中埃まみれで、少女たちは思わず後ず去った。
「ああ、くそ、こんなに埃がつくとはおもわなんだ。なんのようだ、いったい」
 その眼は大した用じゃなかったらただじゃおかないと雄弁に物語っており、岩切は鞄を強く体に引き寄せた。
「あんた、チョコ欲しい?」
「あ? いるかそんなもの。お断りだ」
「何様よあんた」
「あんな起こし方をしておいて謝りもしない奴が何を言うか」
「私からじゃなくて、岩切から」
「岩切?」
 ちょっと驚いたような声を上げる。
「ああ、いくらだっけ?」
 少年がそう問いかけると、少女二人はいきなり部室を出て行った。いや、正確には岩切が友人の背中を掴んで部室を出て行った。
「ちょっと、これのどこがセッティングした状況なの?」
「いいじゃん、これで。さっさと渡しなさいよ。あ、じゃあ私はこれで」
「あ、ちょっと、ほんとにいっちゃうの? 待って」
 少女は立ち去ろうとする友人を追おうとするが、タイミングよく部室のドアが開いた。
「なんなんだ、お前ら」
 いつの間にか一人逃げ去っているのを確認して、少年はため息をつく。
「結局、チョコはあるのか? ないのか?」
「へ? あ、その」
「ないならないでいいよ。わざわざ買ってきてもらうのも悪いし、どうお返ししていいものかわからないしな。義理をそこまでもらいたいほど飢えているわけじゃないし」
「あ、いやだから」
「そもそも所詮はチョコレート会社の陰謀だろ? 別に愛の告白をするならチョコを渡さないでも出来るわけだし、日ごろの感謝は普段の態度に滲ませておくべきだ。それに三月にホワイトデーがあるからって女だけってのも変な話だしな。ホワイトでーって一般的にお返しって印象が強いし、まあそういうところも不平等な感じが」
 少年は弁舌豊かに語るが、おそらくチョコを貰えない男子のほとんどがこれぐらいの論理武装をしているのである。ただその勢いは少女をひるませるに十分であった。
「ところでチョコはメキシコが原産でスペイン人たちが」
 バレンタインを嫌いながらも無視できないがために得てしまった知識を披露し始めたところで、少女はさすがに口を開いた。
「あ、あの、川越くん?」
「ん?」
「い、一応、なんていうかその、チョコ、用意したんだけど」
「え?」
 完全に諦めていた少年の体が硬直した。その表情は最初は緩み、やがてこれではいかんと思い直したのか引き締まり、やがて困惑を浮かべたかと思いきや、所詮は義理という結論に至ったらしく無感動なものとなった。
「ああ、ありがと。いくらだった? 三月まで覚えてられないから、いま現金で」
「て、手作りなの」
 少女の顔が赤く染まった。それとは対照的に、少年の顔は青くなった。衝撃が強すぎると現実を受け入れられなくなるタイプらしい。
「あ、ああ、えっと、その、手作り?」
「う、うん」
「それはその、何人分ぐらい作って、つまりはその、部員全員用なわけだ。今日は部活ないからたぶん明日まとめて渡したほうが」
「一人分」
 いざこうなると少女のほうがはるかに立場が強かった。少年はどこまでもうろたえているばかりで、決意を固めた少女は鞄からチョコの包みを取り出して視線を逸らす少年を睨むように正面から見つめていた。
「受け取ってもらえますか?」
「え? あ、いや、その、ちょっとまってくれ。ごめん、ひょっとして、いやおそらくは、むしろかなりの高確率で俺の勘違いだとは思うんだけど、この行為、つまり岩切が俺にチョコレートを渡すというそれを指すわけだが」
「だめ?」
 少女はそういって目を潤ませた。芝居である。いくらうぶな少女でも演劇部に通っていれば、いや演劇なんぞとは関係なくあくまでもその本能から、意識無意識に関わりあいなくそれは演技なのである。そしてその狙い通りに、少年は心を動かされますますパニックに陥った。それを落ち着かせようと深呼吸をし、体についた埃まで吸い込んで激しく咳き込んだ。
「だ、大丈夫?」
「ああ、だめだ。あ、いや、だめじゃなくて、その」
 少年は緊張も重なってさらに立て続けに咳をした。それで逆に落ち着いたらしく、また大きく息をして再び咳き込んだ。
 果てしなくこれを繰り返すかと思いきや、二度ほど繰り返すだけで少年は学習したらしく、口元に手を当ててゆっくりと呼吸を落ち着かせた。
「悪いけど、いくつか質問いい?」
 少年がようやっとそれだけ言うと、少女はうなずいた。
「単刀直入に聞くけど、俺を好きになる要素なくない?」
「そんなことないよ」
「いやだってさ、こんなになんつーかやる気ないし、別にかっこよくはないし」
「それは・・・・・・そうかもしれないけど」
 少女は案外素直だった。少年の心はいたく傷ついたが、それでも何とか持ち直す。
「じゃあ、なんで?」
「一年のころも同じクラスだったよね」
「そうだっけ?」
 少女は少し笑った。

 少女は中学のころ、いじめられていた。そのやや穏やか過ぎる性格と、その年齢の子供にしては発達が過ぎた体型が、男女問わず反感ないし無邪気でまた残酷な感情を抱かせたらしい。

 ただそれはいじめというほどのものでもなかった。それは受け取り方によるわけで受け取った少女がいじめと感じるのならそれは確かにいじめであった。

 少女は高校に入って自分を変えようと思った。ただ、それは難しかった。少女のどこかが悪かったわけではないのだから。

 少年と少女が初めて言葉を交わしたのはそんなころだった。いつも机にうつぶせて寝ている少年は、その睡眠を妨げた少女をまじまじと眺めた後、
まあそんなにあせらなくてもよくない?
と、遅刻するのを一向に意に介す様子もなく言った。
遅刻しますよ?
だからさ、一回ぐらいたいしたことじゃないよ。
でも。
でも、ありがと。
 少年はにっこりと笑った。ただそれだけだ。まあこんなもので実際に愛だの恋だの言い出す人がいるのかどうかは知らないが、少女にとってその少年の姿勢は心地よかったのは確かだ。そして気がつけば少年を目で追い、一緒にいることで和やかな気持ちに包まれた。

 そんな内容をしどろもどろながら少女は話した。少年はまったく記憶になく首をかしげていたが、その顔は赤い。これはつまり顔面に血液が集まり、つまりは鼓動が早まり、結論からいって恥ずかしくまた緊張して赤面しているのである。
「えぇっと、もう一つ聞いていいか?」
「なに?」
「これを聞くのはとんでもなく恥ずかしいというか馬鹿っぽいかもしれないのだが、まあ馬鹿なのは今更だからな」
 少年は頭を何度か掻いた後、独語するように言った。
「つきあうとかってなにするんだ? 好きとかそういう恋愛感情も、実のところはっきりとわからないんだけど」
 その発言は本心から出たもので、それゆえにこの場では滑稽だった。少女も返答に戸惑う。大体理屈で考えようという姿勢も大間違いなのかもしれない。
「川越くんは、私といて楽しい?」
「ああ、そりゃそうだろうさ。大体、一緒にいて詰まらん人間とは一緒にいない。でもそれは友達とだって」
「私は、川越くんと居ると、うれしい」
 少年は衝撃を受けたような顔をして、やがてうなずいた。
「岩切、お前頭いいんだな」
 そういって、少女の手から包みを取る。体温で大分温まってしまっているようだった。チョコレートの融点は油脂含有量に大きく依存するものの、多少は融けてしまっていることは間違いないだろう。
「いただきます」
 少年は包みを開け、中から表面が融解してぬめるチョコを取り出そうとして体を硬直させた。何故素直に食べて美しい終わり方が出来ないのか。これはもちろん筆者のせいではあるのだが、そんな技巧的な話を除けば、少女がチョコレートを焦がしてしまったことに発端をなす。融かす際に焦げるはずがない。なぜならばそのために湯煎をしているわけで、百度にも達しない以上チョコレートが焦げるはずはない。道理である。だが事実ではない。少女は湯煎をしなかったのである。つまり、チョコレートに直接火をかけたのだ。少女の使用した教本にはもちろん湯煎するように書いてあった。だが少女は度重なる失敗とそのたびに増えていく使用済みの食器を洗う手間、またお湯が沸くのを待つ時間が増えていくのに耐えられなかったのである。作業の後半ではほとんどやけくそといっていい状態といってよく、その勢いのままチョコレートまで焼き、焦がしたわけだ。そのようなチョコレートはそもそも酸っぱいような臭いが発するのである。包みを開けた時点でその香り、いや異臭は少年の鼻に届いていた。

 少年が硬直したのを見て、少女は少し疑問を顔に出したもののそれでも期待に胸を膨らませて眺めていた。少女がこの臭気に気づかないのは、おそらくはいまだ興奮が続いておりそのために臭いなどにかまっていられないのか、製作者であるがために鼻がすでに麻痺してしまっているのだろう。

 少年は男とはいかに行動すべきかをよく知っていた。そして数秒後、そのえぐさというか苦味というか、チョコレートという響きにそぐわぬ味に顔をゆがませた少年を見て、少女は恐る恐る自らもそのチョコレートを口にし、即座に吐き出したのだった。二人は顔を見合わせ、思いっきり笑いあった。


「お返しは何がいいんだ?」
「じゃあ、一緒に演劇見にいこっか」
「ああ、いいかもな。でも俺たぶん寝るぞ」
「演劇部員が寝ちゃだめでしょうが」
「だってしょうがないだろ」
「じゃあそうね、川越くんの家に行くとか?」
「部屋が散らかりすぎてて無理」
「まだ一ヶ月もあるよ?」
「たった一月で片付けられるはずがない。片付け始めるまでに二ヶ月はかかる」
「じゃ、私の家来る?」
「・・・いいの?」
「・・・いいよ」
「そんじゃまあ、そういうことで。適当になんか用意しとくよ」
「期待してるからね」
「・・・しないでくれると助かる」

<了>
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癒された
2008-02-14(Thu) ・ 投稿者[cyclist] ・ 編集 ・ Top

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>cyclistさん
そうですかね。
どちらかというと「ああ、こんな高校生活が送れれば・・・」と思うと・・・・
2008-02-16(Sat) ・ 投稿者[G-song] ・ 編集 ・ Top

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大学入ってからアハアハすればいいじゃん
男子校育ちはステータスだよ、希少価値だよ、たぶん

てか今更だけど、今年のセンターの彼岸過迄読んだとき、
めちゃくちゃデジャヴを感じたんだけどさ、あれG-song殿が
昔書いてたのに似てね?
2008-02-17(Sun) ・ 投稿者[cyclist] ・ 編集 ・ Top

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>cyclistさん
男子校育ちってステータスですかね。ホモの方にならそうかもしれませんけど。

あと、僕は夏目漱石が某国語教師のためにあまり好きじゃなく、
問題文すらほぼまったくといっていいほど読んでいないのでわかりません。
たぶん設問から察するに
「あまり好きでもない婚約者が居たけど、
なんかどこかの男に取られそうになって嫉妬する」みたいな話だったと思うんですが、
こんな話を書いたおぼえはあまりないような・・・
2008-02-18(Mon) ・ 投稿者[G-song] ・ 編集 ・ Top

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センター国語ほとんど問題文読まずに解くとかすごいなw

気のせいかー
てか、現代の低俗なものを読みすぎていて似たように見えるだけかw
2008-02-18(Mon) ・ 投稿者[cyclist] ・ 編集 ・ Top

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>cyclistさん
物語文は大丈夫でしたけどね。
古文がもうね。ははははははは。もういいけどね。
2008-02-21(Thu) ・ 投稿者[G-song] ・ 編集 ・ Top

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