発見のほうが正しいかな。
少なくとも商業的利益を上げられることに気がついた不届きな輩が居るはずだ。
もちろん言うまでもなく、なら言わなくてもよさそうなものですが、
彼女も居なければ友達も居ない僕は家で何も特別なことはなく過ごしましたよ。
よくよく考えれば毎年家族と過ごしているだけでしたけどね。
買い物で外に出たときもそんなにクリスマスっぽさというかめでたい感じはなかったですし。
でも実際、大学入ったとしても普通に過ごしていそうな気がする。
これはもちろん、大学入っても彼女は出来ないという意味もありますが、
万が一に出来たとしても普通に過ごしていそうです。
そもそも正月にも普通に過ごす僕のような人間は記念日の類に非常に疎いですし、
これといって何かしたいという欲求がないです。
枯れているっちゃあれですけどね。
僕にとって一日というのは天気や温度、あとはせいぜい受験やテストの有無で定まるものなので、
何月何日だからなにをする、ということはないです。
冗談抜きで彼女が出来たとしてもクリスマスになにかするってことはないだろうなぁ。
でもなんかしないと振られそうですよね。怖い話だ。
言い方を変えれば、僕は日常が非常に大切なのです。なんか矛盾した表現だな。
結局日本に帰ってきて何より良かったのは友人たちと会話できることですし、
幸せとかそういう類の怪しげな代物を感じるのもたいていそういう時ですね。
友人と笑い話をして、飯食って、小説書いていければ満足。だめ人間かも。
だから彼女が出来てもまあ普段どおりに会って話していられればそれでいいんでしょうね。
まあいまさら話題に出すのもかなりアレですが、
メキシコでのあの方も、結局僕は彼女が欲しかったというわけではなく話し相手が欲しかったんでしょう。
外人と話すのは意外と楽しかったけれど、まあつまらない奴とは話したくなかったし、
一部の日本人たちとばかり話すのも正直嫌気がさしていたし、
そんな中でひとつの救いを求めたんでしょうね。
閉鎖的な人間の割に閉鎖環境に耐えられないという変な話です。
そしてそういう不誠実な態度だったから相手の気持ちも大して思いやれず、
ああいう結果につながったんだろうな、という感じです。
今思うと後悔やら反省やらが生々しく起き上がってきますが、
やり直したいかといえばそれは断ると思います。
考え方によっては、当時の僕の望み、話し相手が欲しいという願いは大体叶いましたからね。
まあ最後の一ヶ月あたりはすげえ居心地悪かったですけど。
ただ、もう一度謝りたいといえば謝りたいかもしれません。感謝もしたいです。
気持ちの整理はついているつもりですけど、僕の人生でもっとも失礼をしてしまった相手ですし。
これもまあ、要するに自分の汚点を消したいという欲求のひとつには違いないんですけどね。
僕は結局自分大好きなんだろうな。とか思っちゃえる限り彼女はおろか友達も出来ないと。
あら、なんだかまじめな記事になってびっくり。
テンションがおかしいのはクリスマスの魔力なのか?
今年は特に他人事だったな。いつもは別に家にいるんですが、クリスマスプレゼントという名の封筒をもらって、その中に英世さんや一葉さんがいて嬉しがるんですが、そのお金たち、今年は卒業式、入学式のスーツと化してしまいましたし。
というか、クリスマスは、ねぇ、日本人なら正月で騒ぎたいよね。でも我らがYゼミはこういいます。
「君たちの正月は3月だ!」 とね。