明日は模試だったりするので久しぶりに小説をアップ。
思いつくまま書いたらとても痛い内容で読んでいて自分が嫌な気分に。
ひょっとしたら日本語としてむちゃくちゃなのかもしれませんが、
まあたまにはそういうものも書いてしまうということでお目こぼしを。
どこまでが事実なのかは自分でもよくわからないので訊かないでくださいね。
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最近、自分と世の中のずれを強く感じるようになってきた。ここ一ヶ月ぐらいの話だ。
発端がどこにあるのかはよくわからない。友人と話している最中、テレビのチャンネルを回している間、電車に乗って広告を読んでいるとき、いまではあらゆるときにそう感じる。価値観が自分と世の中で違いすぎる。それは決して悪いことではないと僕は思うのだが、世の中はそう思ってはくれていないようだ。
究極のところ、僕は疲れているのだろう。実際、疲れもする。現在、僕は高校生で、友人関係だったり親との関係だったり、複雑な時期だといえなくもない。それでも、表面上はこの上なく順調に進んでいて、問題が突然発生するというのも不思議な話だ。それなら、順調に進んでいる中でも少しずつたまっていった何かが今になって噴出してきたと考えるほうが、まだ納得がいけそうだ。繰り返される単調な日々。たまに起こるそんな和を乱すような出来事は極力排除する。こんな生活を繰り返すのに飽きが来ないほうが不思議じゃないだろうか。
それでも現実問題、そうしないでやっていられるとは思えないし、そんな生活はすでに僕の内部にまで浸透している。
教育というのは、時には怖くなるほど効果がある。幼稚園のころだったかに受けた、人のやりたがらないことを率先してやる、自分がいやなことは人にしないという教えは、今でもはっきりと頭に残っている。これはもちろんすばらしいことだけど、いつしか僕は自分が今どんな気持ちになっているのか、本当は嫌なのに無理をしているんじゃないだろうかと思い始めた。
これは全く以って奇妙な話で、自分の意思を、感情を自分で疑うなんてほかに聞いたことのない話だ。別に哲学的な議論に持っていくつもりはさらさらないが、とりあえず、僕はそんな風に考えるほど疲れてきたということだろう。かといって誰かに相談できるような種類の話題でもないし、あらためて考えてみれば、こんなことを相談できる人間は周りにはいなかった。結局僕は自分ひとりでこの悩みを抱えていくのだろう。そんな風に諦めつつさえある。
諦めたといっても、やはりそれを意識しないではいられない。
駅のホームに立つといつも考えてしまうことがある。内容はきわめてシンプル。タイミングを違えれば、即死するということだ。がたがたと揺れる電車の音がホームに近付いてくるに連れて、一歩踏み出した自分の姿が目に浮かぶ。かといって轢死する光景ではなく、あくまでもホームの端からはみ出るまでの姿で、その先は想像することもできなかった。それに、その想像にいたるまでには列車はホームに入っており、僕が飛び込めるような隙間なんてない。電車のドアが開き、僕は空想を離れて日常の生活に組み込まれていく。そんなプロセスが、毎朝のように繰り広げられた。
毎朝のようにといえば、最近、夢を見ることが多い。内容はさまざまではあるのだが、はっきりと憶えていてあとを引くものがある。
見覚えのない部屋に、僕がいる。目の前には多少見知った顔の女の子が座っている。ああ、そうだ。最初は僕自身も座っていることが多いということを付け加えておこう。たいしたことではないかもしれないけど、これもまた不思議といえば不思議だ。
少女の顔は、小学校の同級生だったり中学のころの同級生だったりで、今じゃ関係もないような人の顔であることが多い。気がつくと僕自身もその少女と同じような年齢になっていて、服装まで変わっている。
最初、僕は少女とおよそどうでもいいような会話を交わす。精神年齢は段々と若返り、当時のような気持ちになる。そしていつしか、どちらからともなく男女としての意識が始まる。
もうしばらくすると、夢の中の僕は夢の中の少女を荒っぽく犯す。衣服を破り捨て、陰部を舌で触れる。そのころにはもうその相手が誰なのかもよくわからない。わからないまま僕は行為を続け、そして、目を覚ます。
淫夢といってしまえばそれまでだろうが、僕はこの夢を見るたびに罪悪感を覚える。夢精もしたことはなく、なぜこんな夢を見るのか理解に苦しいが、最近では、罪悪感を覚えるために見ているのだろうと思っている。僕の日常には、きっとこういう要素が必要なのだ。
最近の出来事といえば、もう一つある。
学校帰りの道で、ジョギングをしている少女がいる。いつも一人で走っており、僕をあっという間に追い抜いていく。その後姿、丹精の取れた体つき、皮膚が筋肉に張り付いているのが見て取れる脚は、この上なく官能的な魅力だった。
これを眺めるのはもはや日課になっているといってよさそうだった。時間がちょっとずれることもあるが、たいてい少女は同じ時間に同じ場所を走っているため、まあ週に一度も見ないということはない。
不思議なことに、少女が歩いているときを一度も見たことがない。それどころか、少女の顔すらはっきりと見えたことはなかった。
そう、つい先日のことだ。
コンビニで軽食を買った僕の目の前を、少女が通りすぎていった。相変わらず、その速さは見ていて心に伝わってくるものがある。その走りは、怠惰な暮らしを続ける僕にとって明るすぎるぐらいだった。そんな走りを少し眺めたあと、僕は家路に向かった。
少し歩いていくと、目の前に少女が休んでいた。この道もジョギングコースだったということなのだろう。先ほど会ったばかりであることを考えると、妙に気恥ずかしい。どうやりすごしたものか思案しながら、少し顔をうつむかせた彼女とすれ違おうとした。顔を見たのはこのときが初めてだった。
少女の顔には疲れが色濃くにじみ出ており、普段あれだけ爽快に走っている人間とは思えなかった。僕には意外なものだった。いや、考えてみれば当然なのかもしれない。あれだけの距離をあの速さで走れば、疲労するに決まっているのだ。
僕は自分が何かに失望したのに気がついた。往々にして、僕は人に期待を抱きすぎる。それは期待というにはあまりに身勝手なもので、殆ど妄想の類といっていい。僕の中で彼女はどこまでもさわやかに走る、美しい存在だったのだ。現実にそんなさわやかな人なんているはずがない。なんとなく物足りない気がしたそのとき、彼女が再び顔を上げた。
少女の額から、一筋の汗が流れた。疲れはまだまだ癒えていない。それでも、顔を上げた少女のその目には、なにか強いものを感じた。
驚いて立ち止まった僕を尻目に、彼女は大きな動作でゆっくりと走り出した。すれ違いざまの空気の流れは僕が望んでいたものとは少し違ったが、ある種の感動を起こすには十分だった。
なんだか急に気になって勢いよく振り向く。少女はすでに姿を消していた。僕は呆然と立ち尽くした後いたずらに口をパクパクと動かし、諦めて家へと歩き出した。
それ以後、僕は少女を見るたびに後ろめたいような気分に追いやられる。それでも、少女がいればそこに目を向けないではいられない。そんなジレンマがあった。
もう一人、気になる女性がいた。僕とそう歳も変わらないであろう、高校生の娘だ。
午前七時三十二分に出る電車に、彼女はいつも乗っている。少なくとも、僕がその時間の電車に乗ったときに彼女がいないことはない。
初めて彼女を見たとき、僕はおそらく好奇の目を向けたことだろう。彼女の掛けているめがねは虫眼鏡と見紛うばかりの厚さで、杖をいつも携えている。時折、点字ブロックをその杖でいじっている。
視力がどれぐらいあるのかもわからないが、全く見えないということもないらしい。ラッシュの車内に乗り合わせ、電車が揺れて肩がぶつかったことがある。彼女は驚くほど俊敏に体をよじらせ、僕に向かって頭を下げた。混雑してまともに身動きの取れない状態なのに、そんなことをされてしまってはどう返していいのかもわからず、僕はただただ困惑した。
それでも、一ヶ月もしたころには僕は彼女という存在になれていった。周りのサラリーマンたちも、彼女を気にする様子はない。これは当然だ。彼女の視力が弱いという理由で彼女を気にするのは差別にならない。僕がそこらの企業人に意識を向けないのと同じように、僕らは彼女を見過ごしていく必要があるのだ。生活のリズムをありふれたピースの一つとしてしか、彼女は僕らの生活に存在し得ない。僕らもまた、彼女にとって同じような存在であるべきだろう。
もうしばらくして、朝のダイヤが改正された。三十二分の電車はなくなり、僕は三十五分の電車を利用することにした。それ以降、彼女をみていない気がする。そしてなんとなく、もう彼女を見ることはない気がする。
うちの近所には大きな公立病院がある。テレビ番組にも出てくるような内科部長がいたりする、そんな病院だ。もっとも僕は普段から怪我も病気もすることはなく、中に入ったことは一度もない。オレンジ色に塗られた建物は穏やかではあるが、それが逆に中にいる病人を押し隠すためのように思えなくもない。
普段はさほど意識することもないのだが、夜になると話は変わる。救急患者の受け入れを行っているため、定期的にサイレンが耳に入ってくる。布団に包まっていた僕はぼんやりとした頭でサイレンの音を聞き、少し不愉快に思いながらも寝続ける。気に障るといっても、もう慣れたものだ。絶えず聞こえるわけでもないので、寝入ることはたやすい。
たまにまだ意識がはっきりしているような時間にサイレンが聞こえることがある。そのときは寝る前に良くある空想で、一体何が起きたのかを考えてみたりする。想像の中では僕が要救護患者となっており、血を吐いたり熱に浮かされてみたりする。そんな、考えようによっては失礼な空想にふけるうちに、僕の意識は重たくなり、消える。
サイレンが聞こえだしたとき、昨日もきっとそういう展開になると思っていた。近付いてくるサイレンの音が次第に遠ざかっていき消えるまでは。
急病人の受け入れをしているとはいえ、病床が開いているとは限らない。当直の人手が足りているとは限らない。受け入れられない事情はいくらでも考えられる。いや、そもそも受け入れではなくただただ救急車が病院の前を通り過ぎただけで、今病人のところに向かっているのかもしれない。そうは思いながらも僕の空想はすでに始まっていて、救急車で運ばれる僕は隊員の応急処置を受けながら、薄れ行く意識の中で病院に搬送されないであろうことを悟っていく。
朝になって支度をし、ぼんやりとしながらも駅のホームに立っている自分を見つけた。電車がガタゴトと規則的なリズムでホームに入っていく。
少しふらついて、右足が一歩前に出た。それとほぼ同じタイミングで先頭車両が僕の眼前を通過していく。驚いて後ずさると、右のかかとは点字ブロックにぶつかった。
僕はそのとき、ぞっとするほど自分という歯車と世界のずれを感じた。こうやって少しずつずれていき、最終的に、ちっぽけな歯車は世界という枠・秩序から外れる。ひょっとするとずれた分他のところにもずれが生じて、歯車の一つぐらいはつぶれてしまうのかもしれない。それでも全体はどこまでも規則正しく、歯車を動かして機能していく。
そんなことを考えたときに電車のドアが開いた。降りる人たちをかわしつつ、僕は今日もラッシュの人ごみにもまれながら電車に乗りこんだ。おそらくは明日もまた、これを繰り返すのだろう。そんな考えが頭に掠めた。