もうこれで完結ってことで勘弁してください。
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恐ろしくあっさり十四日は訪れた。この早さを思うと十四日を飛ばして十五日になっていても不思議ではない気がするが、世の中そういうものでもないらしい。
朝、教室に行くと男子が全体的に変な感じだった。お前らくだらん期待はよせと一喝してやりたくなったが、こらえる。希望を持つことが許されない世の中なんてあってはならないのだ。
というか、よくよく考えたら何かおかしいということに気がついた。教室を見回すと、山根女史はすでに席についている。それなのになぜ男子はまだ何も貰っていないんだ? 山根女史が持ってくるのを忘れたのだろうか。まあいい。
教室の中で柴田だけが完全に浮いている。人目をはばかることもなく森井女史にチョコを渡し、実に幸せそうだ。もうこいつらにツッコミを入れることも出来ない。クラスの連中は完全に無視しているようだ。
結局、教室ではもらえそうな奴が順当に貰って、あとは適当に社交性のある女子が配っているのを目撃しただけだった。山根女史はなぜか休み時間中殆ど顔を突っ伏して寝ていた。体調でも悪いのだろう、きっと。
放課後になり、微妙に部室に行く気がしなくなってきた。濱田がいるであろうことはまず確実で、会うと面倒が起こることもまず確実だろう。避けておきたい気もするが、柴田曰くきちんとしろとのことだし、なかなかに難しい。もういっそのことこのまま帰ってしまおうか。
廊下でそんなことをうだうだ悩んでいると、なぜか目の前に杉山が現れた。
「こんなところで会うとは珍しいな」
「あ、いえ、濱田さんに荒川さんを首根っこ掴んででも連れてこいといわれて」
「・・・俺、逃げ場ある?」
「逃げられたら俺が逃げられません」
「・・・ちょっと考えさせてくれ」
「諦めてくださいよ。さっさと連れてこいって言われているんですよ、俺」
「・・・お前、本当にそれでいいのか?」
「案外、おいしいポジションですよ、俺。荒川さんがきちんと断ってくれれば、慰める役になれますからね」
杉山はさらっと凄いことを言い出した。こちらは驚くどころの問題じゃない。
「ひょっとしてお前、最初からそんなこと考えて濱田の言うことにしたがっていたのか?」
「さあ? どうでしょうね」
と、少し含み笑いを浮かべた後、
「好きな人に尽くすのも悪くないですよ」
と真面目なんだか不真面目なんだかさっぱりわからない調子で答えた。
結局、杉山に引きずられて部室の前まで来てしまった。杉山は口の前で人差し指を立て、静かに入るように促してくる。
「・・・なあ、やっぱ俺は入れんよ。お前が入るべきだろ、ここは」
「荒川さん、俺が今、荒川さんに対してどんなこと考えているかわかりますか?」
急に変なことを言い出した。山根女史でもあるまいし、わかるはずがない。
「主に二つあります。一つは、これでようやく荒川さんが態度をはっきりと表明してくれて、チャンスだなっていう感謝の気持ち。さっきも言いましたよね」
「・・・なるほど」
「もう一つは、今目の前にいる男が、俺の好きな人を泣かせようとしている、俺の好きな人が好きな人なのかよっていう怒りです」
「・・・そうか」
淡々と言われて、逆に凄みがあった。それ以降、杉山は黙ってしまう。針のむしろか。
ため息を一つつき、腹をくくった。
「じゃあいってくるよ。悪いな。ちょっと待っててくれ」
ドアノブを握り、まわす。杉山は小さく俺に頭を下げた。それが何だか見ていられなくて、さっさと部室に入った。
「お待ちしましたよ、荒川先輩」
濱田は俺をすぐに捉えて、朗らかに言った。まるでいつものノリだが、心の奥底はわからない。
「さて、本日、十四日は何の日ですか?」
「バレンタインだろ」
「ということで、チョコです。言っておきますが手作りですからね」
そういって、ちょっと雑にラッピングされた包みを差し出してきた。それをじっと見るものの、どうしていいのかわからない。
「言っている意味、わかってますよね?」
「たぶん、な」
「じゃあ、どうぞ」
ずいと差し出してくる。俺はわずかに目を伏せた。
「すまん」
ためらったとはいえ、声に出してしまうといっそうの抵抗があった。
「受け取れない。お前の期待には、俺は応えられない。すまない」
「・・・なんでこういうときに限って謝るんですか?」
だいぶ長い間が空いた後、濱田は呆れたように息をつき、差し出す手を引っ込めた。俺は驚いて濱田を凝視する。
「こっちはわかってていっているんですよ? もうちょっと言い方ってものもあるじゃないですか。ただ謝るだけって、そりゃないですよ」
「いや、しかしお前、この状況で謝る以外に何が出来る?」
「何だって出来ますよ」
「人間に出来ることは限られるよ。何だってってのは言い過ぎにもほどがある。訂正したまえ」
「それですよ、先輩」
濱田はにっこりと笑った。そして、手に持っていた物を勢いよく俺に投げつける。鼻の骨にダメージが走る。石でも入っていたんじゃないかと思わず疑ってしまったほどだ。痛い。
余りの痛さに顔を手で多い、うずくまる。すると濱田が少し近付いてきた。
「普段どおり偉そうにしといてください。そこが先輩のいいところなんですから」
そういい終わると同時に、うずくまっている俺に蹴りが入った。汚い部室の床を転がる羽目になり、悶絶する。
ドアの閉まる音がして、少ししてから泣いている濱田の声が聞こえた。それと同時に立ち上がり、服について汚れを払い、足元に落ちている包みを拾い上げた。しばらくその処置を考えた挙句、俺はそれを机の上に置き、その横で顔を伏せた。そうして、泣き声が聞こえなくなるまでじっとしていた。
音が止んだのはそれから三十分もしてからだっただろうか。杉山の声は、なぜか最後まで聞こえなかった。
次の日、朝から駅で山根女史に会った。たぶん、すでに濱田に関する情報は入っているだろう。どこから入るのかよくわからないが、どうせ入っているに決まっている。何か変なリアクションされるかと思ったが、彼女は俺を見て反射的に顔を背けた後、ゆっくりと近付いてきた。
「おはよ」
「ああ、おはよう」
朝の挨拶を交わすと、山根女史はおもむろに鞄から包みを取り出した。
「五倍にして返してくれるのならあげるわ」
一日遅れだが、そういう内容だということなのだろうか。まさかこいつからそんな言葉が聞けるとは思っていなかったため、猜疑心が強まる。
「ほう・・・何をどう五倍に?」
「それぐらい自分で考えなさい。ほら。いらないならいいけど」
しばし考えた後、手を伸ばす。山根女史はその手に包みを置いた。
開いてみると、チョコが普通に入っていた。
「・・・俺、チョコ嫌いって言わなかったっけ?」
「好き嫌いは今すぐ直しなさい」
何がやりたいんだかさっぱりわからないというか、もはやこいつの考えていることがわかる日は永遠に訪れないのだろうということだけはわかった。
もともと別に嫌いではない。口に入れると、甘さが控えめでむしろ苦いぐらいだった。なかなかうまいではないか。
「どう五倍にするんだよ、これ。値段?」
「言っとくけど、手作りだからね」
「じゃあ何を五倍に? 量?」
「だから、自分で考えなさい」
電車はまだ来ないようなので、一つじっくり考えてみることにする。
まず金額でも量でもないことは確かなようだ。ひょっとしたら糖分量かもしれないが、さすがに五倍になったら甘すぎるだろう。じゃあなんだろうか。
ふと、柴田の言葉が思い出された。いいかげんはっきりしろ、か。
「なあ、早織」
「・・・人前で名前で呼ぶ? はずいんだけど」
「濱田のこと、聞いた?」
返事が来るまでに少し時間がかかった。
「・・・聞いた。なんで受け取ってあげなかったわけ?」
「お前のは受け取っただろ?」
先手を打つように答える。早織は少し意外そうな顔をした後、赤くなった。朝からハードだな、と自分の中の何かがツッコミを入れてくるが、今は無視だ。
思えば、何年前からこんなこと考えていたんだろうか。空想することさえもためらわれる時期もあった。中学に入ってからだろうか。いや、おそらくはもっとずっと前から。この機会を逃したら、いつになることやらそれこそ見当もつかない。
「・・・早織、俺」
「黄色い線の内側までお下がりください!」
「は?」
いきなりの大声に驚き、声の方を向くと、駅員が俺に向かって怒鳴っている。見ると、確かに電車が迫ってきているようだった。
「危ないから下がって!」
「荒川!」
早織に強く腕を引かれた。足元が不安定になり転びそうになるが、早織に支えてもらって転ばずにすんだ。電車は無事ホームに入り込み、一拍音してドアが開き、人が大量に出てきた。ほっとしたのもつかの間、俺が実質早織にもたれかかっている構図になっていることに気がつき、慌てて離れる。
アナウンスがドアを閉めると言い出した。俺と早織は慌てて電車に乗り込み、一息つく。別に黄色い線よりちょっとはみ出ていたぐらいで電車に轢かれることもないとは思うが、やはりびびる。
「・・・さっきなんか言おうとしてなかった?」
「へ?」
早織に言われて、先ほどのことが完全に頭を去っていたことに気がついた。じっと見られて、思わず目をそむけてしまう。こうなると、先ほどの決意はどこに言ってしまったのだろうか。言える気が全然しない。
「それはその・・・」
「その?」
「ほ、ホワイトデー、楽しみにしとけ」
俺の言葉を聞いてきょとんとしたあと、早織は急に笑い出した。車内の視線が集まり俺は慌てるが、早織は気づいていないようだ。
「楽しみにしとくわ」
早織はそういってにっこり笑った。俺はちょっと毒気が抜かれた気がし、今はただその笑顔が見れたことをよしとしようと自分に言い聞かせた。
さて、何を五倍にすればいいんだか。
完
素晴らしい。