広間に出ると演奏が終わって知った顔の司会がくだらないトークをしていた。次はジャグリングのようだ。さっさとはじめればよさそうなものの、内輪ネタで盛り上がってしまっているために観客が目に入っていないようだ。エンターテイナー失格だな。俺のほうがまだマシなトークが出来る。
「えぇっと、どれが美味しいんですか?」
岡部さんは連立する屋台を眺めた後、俺に尋ねた。なぜ先ほど着たばかりの俺がそんなことを知っていると思っているのだろうか。どうも理解に苦しむ。
「まあ論理的に考えると、人が多い列の屋台が美味しいということもできるな」
「となると・・・たこ焼きですか?」
「だが『人が人を呼ぶ』という現象が存在する。あまり美味しくなくても最初に並びだした屋台に人が集まる、ということもあるわけだ。高校生がやっている屋台で、大勢を裁くのは難しい。勢い、質の低下は免れないな」
「ということは人が一番少ないのは・・・あのラーメンですか」
「ああ、あのラーメンは俺の知り合いがやっている。包丁を触るのは初めてだと豪語していた。メンバーの中で料理をしたことのある人間は一人だが、そいつは全ての調味料を混ぜて使う」
「・・・」
岡部さんは黙り込んだ。だから俺に聞くのは間違いだったんだ。
「えーっと、じゃああんまり空いてなくかつ混んでもいない焼き蕎麦にしようか。美味しいという根拠はないが」
「あ、はいそうですね」
何かとりなすように素直な返事をし、小走りに列に並びにいった。しかし本当に記憶にない。もともと興味のない人間に対する記憶力は非常に欠けているのだが、それにしたってここまで思い出せないのは珍しい。トラウマでもあって記憶を隠滅しているのだろうか。それにしたってどんなトラウマが生じるというのだろうか。それに、隠滅した割には同級生の妹だと覚えていたわけだし、不完全にもほどがある。
「荒川さん? どうかしましたか?」
「あ、いや、なんでもない。ついでにいうと食欲もない」
風邪を無理矢理治したばかりで、体調はいたって優れない。
「だ、大丈夫なんですか? まだお休みになられたほうがよろしいのでは」
「君と休んでいるだろう? 少なくとも仕事しているわけではあるまい」
「・・・あ、そろそろですね」
なぜか恥ずかしそうに言った。理由はわからないが、多感な時期だから色々あるのだろう。たぶん。
店員は見たことのない顔だったから、おそらく高一だろう。テニス部が出している屋台だとは聞いているので、どうせうちの学年の連中はサボってナンパでもしているのだろう。軟派なやつらだ。
「六百円になります」
パックを二つ差し出してきた。俺は財布から五百円玉と五十円玉と十円玉四枚と五円玉二枚を取り出して払った。大分財布が軽くなったようだ。店員はあからさまに嫌そうな顔をしているが、客商売なのだから諦めろ。本当は一円玉も五枚あったんだ。
「あ、私の分は」
「ああ、いいって、いいって。三百円ぐらいおごらせてくれたまえ」
「でも」
「さっき部を手伝っていただろう? その代金だと思ってくれ。もっとも、足りないならもうちょっと出せるが」
「いえ、そんな!」
「まあ気にするなってことだ。と、そろそろ二時だな」
舞台上のトークが終わり、ジャグリングがスタートする。ちょっと進行が早いようだ。
「山根さんの演奏ですか」
「ああ。奴は・・・奴は・・・楽器・・・まあなにか吹いていたはずだ。吹奏楽と言うぐらいだからな」
「食べ物持って入っていいんですか?」
岡部さんはもっともなことを言い出した。
「だがまあ二時の時点で食事を済ませていない人間はいくらでもいるだろうし、大丈夫だ。どうせたいした演奏じゃない」
「じゃあなんでわざわざ」
岡部さんはいくんですか?という語を省略して言った。俺は一瞬ためらった後、
「暇だからだよ。他にあるか?」
といった。無論それだけだ。あとは休めるというのもあるかもしれないが。
会場に入ると、驚くべきことに盛況だった。これはすごい。どうやってこんなにも多くのサクラを雇えたのだろうか。
「椅子、なさそうですね」
「まあ俺らは食べ物も持っている。座ると隣に迷惑だろうし、これでいいだろう」
とりあえず一番後ろに行って、壁にもたれかかる。座ると完全になにもみえなくなるだろうが、立っていれば手前のほうにいる舞台上の人間ぐらいは把握できる。
「足が疲れていなければここで見ようか」
「私は構わないんですが・・・体調、大丈夫なんですか?」
「なに、どうせ最後までいる気はない。気分が悪くなったら抜けるさ」
といっているうちに司会者らしき人物が出てきた。遠くて見えない。その人物はマイクを手に取り、深々と一礼した後喋りだした。
「えー、本日は我々吹奏楽部の演奏会にお越しいただきありがとうございます」
「山根か」
「そうなんですか? 声は作っている感じですし遠くてちょっと見えませんが」
「『まことに』ありがとうっていうだろ、普通。大して客をありがたがってないんだ。そんな奴は山根女史ぐらいだ」
「・・・そ、そうなんですか?」
「というより、あいつは部長だからな。はじめの挨拶は部長がするだろ、普通」
山根女史はその後も勢いだけでべらべらと喋りとおし、曲の説明をして席に着いた。打って変わって緊張している指揮者が前に出てきて、ぺこりと一礼する。威厳が段違いなのを見ても、やはり先ほどのは山根女史だろう。
ゆっくりとしたメロディーが流れ出す。結局山根女史が何の楽器か確認するのを忘れていたな。
ろくに見えない舞台を見ていてもしょうがない。俺は割り箸を割り、焼きそばのパックを開く。両方とも手に持ったまま行ったので、きわどく落としてしまうところだった。
「荒川さん」
「うん? 食わんのか?」
とりあえず一口食べてみる。味の感想はよしておこう。学園祭の屋台に多くを期待してはならない。
「あ、いえ、そうじゃなくて」
さっぱりわからん人だ。
「真剣に聞くべき話題ならこちらもそれに応じる。はっきり言ってくれたほうがこちらにとっても都合がよい」
「・・・聞き流してくださって結構です」
「了解した」
ということで食事に戻る。さっさと食べてしまわないと、冷めてはまずくて食べられないだろう、こんなもの。
「私が荒川さんに初めて会ったの、いつかわかりますか?」
聞き流せといっておきながら問いかけてくるとは思わなかった。麺を咀嚼し嚥下した後、答える。
「さあ? おそらく、君の家に行ったときだろう」
覚えていないが。
「実はもっと前にあっているんですよ? 廊下でぶつかったことがあります。入学してから一ヶ月ぐらいしたころでした」
問いかけられていないので、聞き流すことにする。どうも前置きの長い人のようだ。柴田と気があうかもしれん。
「・・・荒川さん、彼女とかいらっしゃいますか?」
「記憶の限りいないな」
「そう・・・ですか」
一曲目が終わった。ライトがピアノに当たる。ピアノは吹奏楽器じゃなくて弦楽器に入るような気がするのだが、いいのだろうか。たんにオーケストラと捉えれば問題はないが。
どこかで聞いたことのあるようなピアノのメロディーが流れ出す。順番に他の楽器も加わっていき、音の深みが増していった。
「荒川さん、山根さんが好きなんですか?」
「そんな話、どこから聞いた?」
「兄が言っていましたよ。それに、うちの中学全体でも有名でした」
「そりゃ迷惑なうわさだな」
視線を上げて舞台を見るが、ピアノと指揮しか見えない。
「兄の家に来てもらったことありましたよね? あれ、私が兄に頼んで呼んでもらったんです。結局何も話せませんでしたけどね」
紅生姜を大目にもらって置けばよかったな。味が平淡で飽きが来はじめた。
「荒川さん、私と・・・付き合ってください」
ようやく食べ終えた。ゴミ箱はおそらく外だろう。割り箸を真ん中のあたりで折ってパックの中にいれ、輪ゴムでパックを閉じる。
「いくつか質問していいかな?」
俺はパックを床に置き、壁にもたれかかる。視線はあくまでも舞台を見つめたままだ。岡部さんもこちらを見たりはしていない。
「君が今日の文化祭に来たのは、それが言いたかったからか?」
「・・・はい」
「うちの学校を受けるといっていたのは嘘か?」
「い、いえ、それは本当です」
「じゃあなんでうちの学校を受けるんだ? 君の成績ならもっと上を目指せるだろう?」
「それは・・・」
「人間は向上心を持って生きるべきだ。もし君が俺目当てでうちの学校を受けると言い出しているのなら、勘違いにもほどがある。自分を磨くための努力を怠っているだけだからな、それは」
「・・・すいません」
「謝ることではないよ。要は君の問題だ。俺に迷惑がかかることでもない」
「・・・やっぱりダメですか」
「・・・悪いが、諦めてくれ。あいにく、あまり知らない人間にそういった関心は持てない」
「そう・・・ですよね。すいません、へんなことを言って」
「いや、なんだろうな」
舞台上に目をやる。いくら見つめても、後ろの列に並んでいる演奏者たちは陰に隠れて見えない。
「感謝するよ」
小さく言ってみたが、岡部さんには届かなかったようだ。ほぼ同じタイミングで曲が終わり、拍手が響いたためもあろう。
司会が再び姿を現し、曲の説明を始めた。やはり早織だな。そう感じた瞬間、反射的に舞台から視線をそらした。そのまま床に置いたパックを拾い上げる。
「じゃ、行こうか」
「え? でもまだ始まったばっかりじゃ」
「こんだけ人がいるんだ。終わった後ほかの場所を回るんじゃ、混雑してしまうだろう? この人たちとかぶらないほうがいい」
渋る岡部さんを無視して出口に向かって歩き出したとき、早織の声が響いた。
「――ということで、是が非でも最後までお聞きください」
その台詞で、俺の脚は思わず止まった。
「どうかしましたか?」
まったく、あいつらしい台詞だ。普通「是非お聞きください」だろ。「是が非でも」となると急に強制力が増してくる。
「いや・・・最後まで聴いてやるかと思ってね。もちろん、君が回りたいのなら俺はそれに従うが」
「私は、少なくともまだ聴いていたいです」
「じゃあ残ろうか」
俺は岡部さんの隣に戻り、壁に背中をつけて舞台上をながめる。相変わらず、早織の姿は見えなかったけれど。
夕方ごろ、俺と岡部さんは学校を一通り回り、部室に戻った。それなりに人がいたようなので、柴田と交替して白衣を着る。
その後一時間ほどで今日の学園祭終了のアナウンスが鳴った。最後の客を深々と頭を下げて見送り、ドアを閉めてほっと息をつく。柴田がペットボトルの緑茶を俺に向かって投げてきた。それをキャッチして一口飲む。
「今日は何人ぐらい着たんだ?」
「えーっと・・・そんなに来てはいないぞ。多くて二百ってところじゃないか?」
「すまんな、忙しかっただろう?」
「なーに、明日俺に休みをくれれば」
「杉山、片付けはまだいいから。お前も疲れたら休んでいいぞ」
「あ、僕は大丈夫です」
「明日は俺に休みを」
「そういや濱田はどうした?」
「あれ? 荒川さんを追っていったと思ったんですけど、会いませんでした?」
「だから俺に休みを」
「あいつ結局サボりか。明日はマジメにやらせないとな」
ガラガラとドアが開いて、森井女史と山根女史が入ってきた。
「おつかれー」
「荒川、あんた聴きに来てた? なんかあんたらしい人影を見たような気がしたんだけど」
「気のせいだろ」
事情を知る全員が少し驚くが、あえて何も言わない。いい奴らだな、ほんと。
ガラガラとドアが開いて、けたたましく濱田が入ってきた。
「どこに行ってたんですか!? てっきり演奏を見に行ったとおもって妨害しにいったのに!」
「妨害・・・なにを妨げるつもりだ?」
「何でも構いません!」
「かまえよ」
「そんなことよりも杉山くん! あんた、荒川先輩が来たら私に連絡しろって言ったでしょうが!」
「忙しかったから無理だって」
「濱田、お前元気だな。働いていないんだから当然だが。ところで今日実によく働いた俺に褒美として明日の休みを」
ぽかんとして聞いていた岡部さんが突然笑い出した。騒いでいたのが静まり、岡部さんに視線が集まる。
「あ、すいません。面白い方々だなぁと思って、つい」
そう言った後、アナウンスが流れた。本日の学園祭は終了しました。明日は午前九時からの開始となります――
「私、そろそろ失礼させていただきますね」
「ああ、今日は助かりましたよ。ありがとうございます」
杉山が丁寧に礼を述べる。働いていなかった濱田が述べるべきだとも思ったが、その気は少しもないようだ。
「じゃあ、また明日うかがいますね」
「・・・明日?」
岡部さんはそのまま教室を出て行った。明日も来るつもりらしい。なにを考えているのだろうか。もうほとんど全て回ったはずだが。
「あの娘となんかあったの?」
山根女史が不思議そうに言ってくる。答えづらい質問はやめて欲しい。
「そりゃまあなくもないが、明日来る理由は思い当たらない」
「どーせ先輩が鈍いから気づいていないだけですよ」
「その言い方はどういう意味だ?」
「どうもこうもありませんよ、まったく。あー、今日一日無駄にした」
「お前なぁ・・・明日は朝からみっちり働けよ。無論、俺も働くが」
「あ、じゃあ俺明日暇になるよね?」
「さーて、明日もあるんだからさっさと帰るか。戸締り頼んだぞ、柴田」
改札を抜けたところで、山根女史が急に話しかけてきた。
「あんた、絶対にいたでしょ?」
「しつこいな、お前も」
俺はため息をついて答える。歩くスピードは変えず、山根女史との距離を保つ。
「最初の二曲が終わった後、出ようとしている人がいたの。んで私が『最後まで聴け』っていったら」
「だからって何でそいつが俺だと思うんだよ? おかしいだろ? 講堂は電気消していたんじゃないのか?」
「何でそんなの知っているのよ?」
「春に行った演奏会ではそうだっただろ? なら今回もそうだろ」
「・・・疑わしいわね」
「なにが疑わしいかね、まったく」
「さっきの顔、嘘をついている顔だったんだけど・・・」
まったく、どこまですごい超能力なんだか。山根女史はその能力に絶対の自信を持っているらしく、まだぶつぶつ言っている。
そうこうしているうちに早織の家の前まで着いた。
「じゃあな」
「じゃ・・・って、あんた、なんでうちまで来ているのよ? さっきの交差点でわかれるはずじゃない」
「もう遅いだろ? そういうことだ。じゃあな」
俺はそういってまた道を戻りだした。
「荒川!」
いきなり早織に大声で名前を呼ばれ、驚いて振り向く。
「なんだよ、大声で」
「今日見ていないなら、明日は来なさいよ。いいわね?」
「あいにくだが明日はお仕事だよ」
「あと、礼を述べておくわ」
「・・・そいつはどうも」
俺は再び前を向いて歩き出した。こいつから礼を言われるなんて珍しいことが起こるものだ。悪い気分はあまりしなかったが。
<終>
あまりのいい流れに、床を転げ回りそうです。
……転げ回るって標準語ですよね?