学園祭が始まった。木曜日の午後から準備が始まり、どうにか前日、つまりは金曜日までに終わらせることができた。といっても私たち吹奏楽部は改まって準備することもなく、やったのは会場の掃除程度だったのでたいした手間じゃない。普段から練習しているから、土壇場であわてなくて済むってことね。
さて、それに対して荒川率いる化学部は散々なものだった。あらかじめ生徒会に学園祭でやる内容を提出しているんだけど、全くのでたらめを思いつくままに書き並べただけだったらしい。この期に及んで変更が許されないという事実を知り、あわてて用意を始めたとか。大体こいつらが実験しているのを見たことがないんだから、どちらにしろあわただしく用意する羽目になるに決まっているんだけどね。
別にあいつらが大変なのは自業自得なんだけど、問題は智美まで柴田くんの手伝いをしてしまうこと。おかげで頭数が一人減って、会場にパイプ椅子を運ぶのに苦労してしまった。
まあいい。済んだことは忘れたほうが精神衛生上にもいいし。無事に終わったって事でよしにしましょう。化学部のほうもなんとか終わったらしいし。
学園祭自体の開始は九時からだけど、生徒は八時に集合した。別に教室に行く必要はなく、とりあえず活気付けるために来させているとしか思えない。
一応会場の点検をしたけどそれだけでは暇でしょうがない。時間つぶしにしばらく後輩たちと話した後、智美がいないことに気がついた。化学部か。しょうがないわね、ほんと。化学部が発表に使う実験室は、私たちが演奏に使う講堂から若干離れている。逆に言えばそれだけ時間も潰せるし、他の団体がなにをやっているか道の途中に覗くこともできる。
ということで廊下を歩いていると、まだまだ用意が済んでいない人たちがかなりいるようだった。まあ土曜日とはいえ朝早くから学園祭に来る人はそういないだろうけど、さすがにどうかと思う。
ふと見ると、目の前に白衣の人間が立っている。掲示板に宣伝のポスターを貼っているようだ。
「杉山くん?」
声をかけられて白衣の少年は振り向く。やはり杉山くんだ。実にポスター貼りの似合う男だ、それにしても。背中にただよう哀愁というか影の薄さというべきか、苦労の耐えない人っていうオーラがある。若いのに不憫ね。
「おはようございます、山根さん。吹奏楽はもう準備終わったんですか?」
「まあね。あ、あとでチラシ、化学部にも置かせてね」
「オッケーです。演奏、いつからでしたっけ?」
「今日も明日も午後二時から。だから午前中は結構暇なのよね」
そういって杉山くんの貼ったポスターを見る。午後三時から実験ショーと書いてあり、怪しげなイラストで飾られている。
「この絵、誰が描いたの?」
「濱田さんに決まっているじゃないですか。絵ではなんか変な色の液体ですけど、実際はもっと普通の実験ですよ。全くなに考えてんだか」
杉山くんはため息をつく。実にため息をつきなれている様子だ。ますますもって哀れね。
「あ、そうそう。荒川さん見ませんでした?」
「なんで私が見てんのよ?」
「家、近いそうじゃないですか」
「知らないわよ、あいつのことなんて。なに? あいつ来てないの?」
「そうなんですよ。八時集合って荒川さんが言ったのに」
腕時計をみると、すでに八時半。あいつは時間にルーズではないんだけどな。
「連絡は取ったの?」
「一応四十五分になったら柴田さんがするってことに。でも荒川さんがいないと色々わかんないことがあって」
「ならさっさと連絡しなさいよ。私がかけてやるわ」
携帯を取り出し、荒川に電話をかける。ニ三度のコールがあった後、荒川はあっさりと出た。
「もしもし? 荒川? いまどこよ?」
「家だ」
掠れた声が返ってくる。
「ちょっと? もしかして風邪?」
「あ゙あ゙」
「ばかねぇ。なんでわざわざ学園祭の日に風邪なんて引くのよ。日ごろの体調管理が悪いからそうなるのよ。どうせ学園祭前日で興奮したとかいうんでしょ? 小学校のときも遠足のとき体調崩してたでしょ、あんた。まったくガキのころから成長してないわね」
「山根さん、ちょっと言いすぎじゃないですか?」
杉山くんは遠慮がちに言う。無視。
「ちょっと? 言い返せないの? マジで辛いとか言わないでしょうね?」
少し間が空いた後、荒川の声が弱弱しく聞こえた。
「・・・午後には行くから、頼んだ」
それで切れた。私は携帯の画面をちょっと見た後、閉じてポケットにしまう。
「なんて言ってました?」
「午後には来るってさ。あと、頼むとかどうとか」
「なにを誰にですか?」
「さあ? 熱で錯乱してたんでしょ、どうせ」
杉山くんはなぜか黙って考え始めた。なんだか悪い予感がする。
「山根さん、午前中は暇っておっしゃってましたよね?」
「なんのことかしら?」
「ありがとうございます、山根さん!」
杉山くんは目を輝かせていきなり私の手を掴んできた。周りの視線をわずかに感じ、恥ずかしさから振り払おうとするものの、しっかりと掴んでいるので離れない。私はなんだかそれで逆に冷静さを取り戻した。
「・・・あなたなんだか濱田さんに影響されてきてない?」
「そうですか?」
杉山くんは済ました顔で言う。そこでようやく手を離してくれ、私は少しほっとした。
凄いと思うけどなぁ。