はじめて来たが、なかなかでかいプールだ。流れるプールにウォータースライダー。こういうプールに来たのは小学校以来だ。
といっても小学校低学年のころだろう。五年の時には足を折っていたわけだし、六年のときは確か旅行に行っていた。実際、夏にギブスをはめているとつらくて仕方がなかった覚えがある。体育の水泳もすべて見学で、やたらストレスがたまったものだ。
「先輩、どうですか?」
濱田が大声を上げて寄ってきた。係わり合いになりたくないタイプだが、確実に俺と杉山のほうに来ているから逃げるのも難しい。
「いったい、何がどうだと聞いているんだ? 目的語ぐらい示したまえ」
「私の水着、どうです?」
水着がどうといわれても、どう答えていいのかがわからない。生地の質はよさそうだが、そんなものを俺に聞くのはさすがにおかしいだろう。
「布の面積が少ない割りに高そうだ」
「そういう定番のギャグも悪いとは言いませんが、たまには真面目に答えてください」
「皮膚が露出していると、紫外線を浴びて体によくないぞ」
「お気遣い感謝しますが他に何か言うことは?」
「今日の君はえらくしつこいな。熱中症予防のためには水分と適度な塩分が必要だぞ」
「なんでさっきから健康マメ知識みたいな話題ばっかりなんですか? もういいです。杉山くん、適切な感想を端的に述べて」
「なんで僕に飛び火するのさ?」
「いいから、さっさと述べなさい」
杉山は若干顔を赤らめながら濱田の水着を見、小さな声で言った。
「・・・いいんじゃないですか」
「まて、それが適切な感想なのか? 何も答えていないだろうが」
「いいんですよ、これで」
そうこうしているうちに山根女史も現れた。濱田の水着はセパレイトとかいうのだったとおもうが、こいつのはワンピースだ。さすがの俺でもこれぐらいの単語は把握しているつもりだ。
「荒川、準備運動はしたかしら?」
「お前も本当にとっぴなことを言い出すよな」
「じゃあなんて言って欲しかったの?」
「遅れたことをわびるぐらいの心構えを見せて欲しかった」
「女の子は支度にいろいろと時間が」
「それを聞くのは三度目だ」
実に不毛な会話だ。なぜ炎天下のプールサイドでこんな会話をしなければならないのだろうか。暑いを通り越して熱い。実際、太陽光のせいでプールサイドは異常に熱せられており、足の裏が熱くてしょうがない。
「もういい。準備運動をしてさっさと水に入ろうじゃないか」
「第一ですか? 第二ですか?」
濱田が尋ねる。心の底からどうでもいい。
「別にラジオ体操じゃなくていい。適当に筋肉を伸ばしておけ。特に杉山な」
「わかってますよ。これでも元運動部ですよ?」
うむ、真面目でよろしい。
こういったものには性格が出るのか、濱田が一番早く終わらせた。手抜きしているに決まっている。次に終わったのは山根女史。こいつは元から体がやたら柔らかくて不気味なほどだ。そして俺と杉山はほぼ同時に終わらせた。
女性陣がすでにどこかに消え去ったのを見て、杉山が小さな声で言った。
「いやぁ・・・お二人ともスタイルよかったですね」
個人的にはあまり好ましくない台詞だが、杉山も男だ。先輩として広い度量を持って許してやろう。
「そう思いませんでした?」
「いや、同意を求められて困る。君がそう思おうが君の勝手だ。自分の判断に自信を持ちたまえ」
「・・・荒川さん、山根さんのをみてなんとも思わなかったってことですか?」
「まあ幼稚園から見ているからな。別にどうとも思わん」
「それはそれで・・・微妙ですね」
「微妙って、何が微妙だ?」
「まあ気にしないでください。そろそろ僕らも泳ぎましょうか」
杉山はそう言ってプールにはいる。はぐらかしている感があるのが気に食わない。
改めて辺りを見回してみると、この大勢を構成しているのは、大部分が親子連れのようだ。高校生、つまり我々と同年代の人間はいないわけではないが、主要素とは言いがたい。
分析をしているうちに、額から伝ってきた汗が目に入った。そろそろ俺も水に入る頃合か。
足からゆっくりと水に入ると、思ったよりも遥かに浅くかつ温くて拍子抜けしてしまった。こどもへの安全の考慮と人が多いせいだろう。人が多いせいといえば、どうも流れもさほど強くない。物たりないので流れに逆らった方向に歩こうとすると、監視員に注意されてしまった。仕事熱心で感心する。
「やーい、先輩ったら怒られてるー」
後ろから不愉快な台詞が聞こえた。振り返ると、振り返るまでもなく分かっていたが、濱田が立っていた。
「濱田くん、人が注意されたのを喜ぶのは小学生までにしておきなさい」
「私の水着を褒めなかったから罰が当たったんですよ」
「何を馬鹿な。俺が流れに逆らった行動をとったから注意されたのだろうが。そもそもなぜ監視員のお兄さんがそんな事情を知っているんだ? それになんでそんなことで注意されなければならない?」
「乙女の純情を踏みにじった罰です」
「俺が? いつ? 誰の? どんな?」
「私がどれだけの時間をかけてこの水着を選んだと思っているんですか?」
「知らんよ。君がどれだけの時間をかけて水着を選ぼうが君の自由だ。俺には関係ない」
「大有りだから困るんです。まあ今はそんな過去は置いといてあげましょう。一緒に泳ぎましょう」
「この人ごみの中を一緒に泳ぐのは困難じゃないだろうか」
「二人で協力すれば不可能じゃありません」
「何故俺が協力せねばならんのだ。一人で楽しめ」
「何のために複数人でここに来たんですか? みんなで楽しむためでしょう?」
「おお、実にまったくその通りだ。して、山根女史はどうした? お前と一緒にいるのだとばかり思っていたのだが」
「山根先輩は人魚のごとき速さで泳ぎ去りました」
「人を化け物扱いするのは良くないな」
「まあゆっくり周っていればあっちから来ますよ、一周して」
「それもそうだな。杉山もそのうち来るだろうし、ゆっくり周るか」
「それにしてもあれですね、先輩」
二人になってしばらくしたころ、濱田が口を開いた。
「どれだ?」
「私たち、今、何も知らない人が見たら」
「ああ、漂流しているように見えるだろうな」
「誰がどう見ても流れるプールで流れのままに漂っているようにしか見えません」
「しかし何も知らない人ならここが流れるプールかどうかも知らないんじゃないか?」
「それぐらいは分かっているという仮定です。どういう組み合わせに見えますかね?」
「さあ? 愚鈍な妹とその兄じゃないか?」
「愚鈍とは何ですか。そんなの見たって分かりませんし、私は愚鈍ではありません」
「無知の知という言葉もあるぞ」
「・・・なんで私はこんな人に・・・あー今からでも乗り換えた方がいいのかな・・・」
「なにかいったか?」
「・・・先輩はぶっちゃけ私のことどう思っています?」
「俺の後輩だろ、お前は」
「・・・それだけですか?」
「なんといって欲しいのかは知らんが、お前は俺にとって大切な後輩だ。何が不服だ?」
濱田の顔を見ると、実に驚愕した表情だ。顔が赤い。やはり熱中症だろうか。塩分が不足しているのかもしれない。それとも日焼け止めを忘れて顔だけ焼けたのだろうか。
「も、もっかい言ってください」
「だから、何が不服だ?」
「その前です。そんなありきたりなジョークはやめてください」
「? お前は、俺にとって大切な後輩だ、の部分か?」
「『後輩』を『人間』に替えて下さいませんか?」
「俺に何をやらせたいんだ?」
「いいから、早く!」
濱田から鬼気迫るものを感じる。怖い。大人しく従ったほうが身のためだろうか。われながら威厳のない先輩だ。
口を開こうとしたところ、背中を何者かに蹴られて水が口の中に入った。少し飲んでしまい、激しくむせる。
最初は子供に蹴られたのかと思ったが、振り向くと自分と同い年の女子が立っていた。ついでにいうと、近くに泳いでいた子供は回りに多大なる注意を払っていた。子供以下だ。
「山根、いきなり人を背後から蹴るのはあまり礼儀にかなった行為とは言いがたいぞ」
「ちょっとした挨拶よ。気にするほうがおかしいわ」
「挨拶にしてはなかなかいい蹴りだったぞ」
「さすが私ね」
会話が成立しない人間ばかりが俺の周りに集まっているような気がしてならない。カウンセラーか何かに相談したほうがいいのだろうか。
「で、何の用だ?」
「何の用も何も、合流しただけでしょうが。杉山くんは?」
「さあ? そのうち来るんじゃないか?」
「まあそうでしょうね。じゃあウォータースライダー行ってくるわね」
「あ、俺も行く」
「先輩、逃げないでください!」
「逃げてはいない。俺は純粋にウォータースライダーで滑ってきたいのだよ」
「そんな先輩らしくない子供っぽいことを」
「人間、子供の心を忘れてはいかんぞ」
「そうそう」
珍しく山根女史と意見があった。たぶん何か良くないことが起こる前触れだろう。
「じゃあ俺らは行ってくるから。杉山にも伝えといてくれよ」
<続くともさ>