記事タイトル→2006-07-19 Wed  避暑記事タイトル←

久しぶりな短編小説。
思いつきで書くのも意外と大変なんですよ?
ちょっと夏のお話。ちょっとだけですが。*
 花を買った。一輪だけ、小さな黄色い花を。名前は先ほど店員から聞いたが、まるで覚えていない。この花を語るのに、名前はさほど重要じゃない。

 僕は鼻を近づけて、匂いをかいでみる。わずかに甘く、ささやかな香りがする。こんな小さな細い花なのに、それでもやはりかぐわしい。一輪だけだとすこし寂しげに見える。頼りないといったほうがいいかもしれない。店に並んでいるときは、たくさんの同じ花があった。同じというのは正しくないかもしれない。この花単体でもこれだけの存在感があるのだ。一つ一つの個性を見出すべきなのかもしれない。僕にはそんなことはできそうにもないが。

 別に何か目的があって花を買ったわけではない。普通、花を買うときは見舞いのためだったり、プレゼントだったりするものだ。僕は今日、何の目的もなく花を買った。そういえば花なんて買ったのは生まれて初めてだ。

 少し手を伸ばして花を遠ざけ、よく眺めてみる。どこにでもありそうな花だ。かといって過去に見た覚えがあるわけではない。僕の頭にある「花」というイメージに、これほどマッチした花もないだろう。

 ふと、回りから視線を感じた。考えてみれば当たり前のことだ。僕は過去に高校生ぐらいの男が花を一輪だけ持って歩いている姿なんて見たことはない。奇異に写るに決まっている。

 この花を買ったのは、駅の近くにあった花屋だ。学校の行きかえりに利用する道にあって日ごろからよく目に入っていた店だったが、気を引かれたのはこれが初めてだった。

 今日はいつもよりやや暑い。二日ほど前に振った雨の影響が残っているのか、ずいぶんと蒸す日だった。通勤で混雑した電車を降りたとき、エアコンの存在を確かに感じたものだ。車内も暑く、エアコンが効いていないと思われるほどだったが、外の熱気を思えばその効果は確かに存在していたということだ。

 改札をくぐって駅を出たとき、その日差しを浴びた僕は殆ど倒れそうになった。自分が吸血鬼にでもなってしまったかと思いながらふらふらと歩いているとき、その花が目に入った。色鮮やかで、吸血鬼である僕の目には厳しいほどだった。

 ふらふら立った僕は、店内からやや涼し目の風が吹いていることに気がついた。店内は花々にとって最適な温度に整えられているに違いない。その確信を得た僕は、すぐに店内に入った。

 自分が非常に場違いな存在だと気づくのにも、そう時間はかからなかった。店員にいらっしゃいませと声をかけられて、うろたえてしまう。別に店に入ったからといって買い物をしなければならないという決まりはない。だからといってこのまますぐに店を出てしまっては、さすがに不審な行動だろう。冷房目当てで入ったと思われるのは、あまり快いものでもない。しかも悪いことに、こんな早い時間に花屋に来る客などいないらしく、店内には店員と僕だけだ。

 若い女性の店員(といっても僕よりは年上だろうが)が、僕に近づいてきた。質問されるのはできるだけ避けたい。花を買うつもりがあって店に入ったわけでもないのだし、質問されてしまうとこの場を去りづらくなるのは目に見えていた。どうにかしてその事態を避けようと思い、目を向けた先にはさっきの花があった。つまり、今僕の手で握られている花だ。

 近づいてきた店員に向かって、言った。
「すみません、この花いただけますか?」
「あ、はい。えっと、どのくらいお求めで・・・?」
 その質問は少し予想外だった。考えてみれば、花というのはたいてい束で買うものだ。
 振り向いて再び花を見る。一本いくらぐらいなのだろうか。財布の事情を考えると、そう多くは買えないだろう。
「これ、一輪いくらぐらいですか?」
「そちらは・・・百五十円ですね」
 思いのほか、えらく高い。まじまじと見つめてみるも、やはり高そうには見えない。
「百五十円ですか。結構高いですね」
 僕は大げさなほどまじめな顔を浮かべて言う。
「はい・・・そちら、本当は秋の花なので、そのせいで少しお値段のほうは」
「これ、秋の花なんですか?」
「はい。生産地は―――」
「あ、いいです。買います。一輪」
「・・・一輪だけでよろしいんですか?」
 店員の不審気な目をよそに、僕はできる限り選んで花を一本引き抜いた。どれもこれもたいした違いがあるわけでもないように見えたが、せっかく買うなら自分がいいと思ったものを買ったほうがいい。

 店員は丁寧に茎の部分を薄い透明なセロファンで包んだ。その透明感に、僕は意味もなく感動した。

 店を出ると外はやはり夏で、熱気は、秋の花を持っている僕にも容赦なく降り注いでいる。

 僕は花の匂いを嗅いでみる。暑さは少しも変わらなかったが、少なくとも学校までは耐え抜けそうな気がした。
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