明日から関東圏の主な学校の中学入試が始まります。思い起こせば四年前、うら若き小学生だったころ、私もそんなものを受けたわけです。自分は意外と見事に第一志望に通ったんですが、なんで今、こんなところにいるんでしょうね。というか、ここに来るために一応(ほとんど形式だけだけど)退学したんですよ。いや、戻れるらしいんですけどね。でもまあ世の中って不思議ですよね。
小学生でこのブログを見ている方は居られないでしょうが、そんなに気にすることないと思いますよ。志望校に入っても退学することになるんです。たかが十代前半で人生決まりませんから。
前置きが長いですが、もうひとつ。今回の小説は自分の経験を基にしております。うちの学校(もう退学したがな)は中学三年生に「試験監督補佐官」というのをやらせるんです。後輩がそれをやっているかどうかはしりませんが、その人たちへの応援の意も込めております。何か感じるところでもあれば幸いです。では、小説です。段落ごとに一行空けてみたら、めちゃくちゃ長くなりました。
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鉛筆が文字を刻む音、スチームの音、時折聞こえる紙をめくる音。この三つが教室を支配していた。黒板の上においてある時計を見て僕は、秒針があればいいのに、と思う。そうすれば時間が止まっていないことを確認できる、そんな気がした。
僕は横目で、五メートルほど離れて椅子に座っている友人のSをみる。顔が奇妙にゆがんでいるのは、おそらくあくびをこらえたからだろう。すぐに僕が見ていることに気がつくと、Sは瞬きで何かを伝えようと試みたらしかった。だが、即興のメッセージは僕には届かない。僕はSから視線を離し、再び時計を見る。十二、三、六、九。四つしか数字の書かれていない、シンプルな時計。秒針があればいいのに。
僕とSは教室の後ろにある椅子に腰掛けていた。ポケットに入っている財布のふくらみが足を圧迫し、どうも窮屈だ。どうにかして位置をずらしたいが、音を立ててはいけないし、無意味に立ち上がってもいけない。黒板の前、教卓の椅子に座っている教師も、どこか退屈そうだ。時折思い出したように小学生たちを見た後、僕とSにウィンクする。僕とSもそれを返す。それがかれこれ十五分ほど続いていた。
今日は二月の一日だ。この日は別に、普通の人にとって何の意味もない日だ。だが、小学六年生にとっては、今後の人生を左右するほど重要なものだ。関東の主要な学校の受験は、今日一斉に行われる。それは僕の学校も例外ではなかった。
本来、受験の日はその学校の生徒にとって休日だ。なぜ僕が今日、学校にいるのかというと、「試験監督補佐」という仕事を与えられたからだ。なに、たいした仕事ではない。要するに生徒が落とした消しゴムを拾うのが仕事なのだから。それでも、この仕事の倍率は高かった。なんせそれだけの仕事で、図書券が千円分もらえるというのだ。アルバイトというほどの大掛かりなものではないが、どうせ家にいても暇に決まっている。うちの学年に三分の一は、この仕事に就くことを志願したぐらいだ。皆おんなじだと思って、妙に笑えた。
図書券はさておいても、来年から後輩になる小学生を一目みたいと思った僕は、監督補佐の狭い枠に見事滑り込むことが出来た。しかし、思ったよりも退屈な仕事だった。期待が大きかっただけ、それもひとしおだ。
僕は目の前に座っている、三十人ほどの受験生たちの背中を眺めた。今年のうちの学校の倍率は、確か三倍ほど。この中の十人は僕の後輩になる計算だ。僕には小学四年生の妹がいるが、勉強している姿を見たことがない。それを思うと、小学六年生が一心に算数の問題と健闘しているのは、妙な光景に思えた。彼らだって普段は、ゲームをしたりして、友達と遊んでいるはずだ。いや、ひょっとすると塾に通いつめて、そんな時間もなかったかもしれない。小学生なのに。この学校は都内の男子校ではそれなりに知名度も高く、親が子供に入って欲しいと願う気持ちもわからなくはない。子供はその期待に応えるべく、小学生の身空で勉強に励む。・・・そういう子供たちが、ひとつ教室に集められて問題を解いている。実に特殊な環境であると、僕はいまさらながらに思った。
なるほど、過去に僕もそれを経験したはずだった。だが、ここにいる少年たちほど思いつめてはいなかったような気がする。親の期待がそれほど大きくなかったためか、気軽に受験をして、その結果、合格した。自分が落ちるなんて、これっぽっちも考えたことはなかった。僕は週に三回も塾に通っていたし、それで落ちるはずがない、そんな風に考えていた。その考えは実に甘い。それでも希望校に通らなかったやつは知り合いにもいた。だが、僕は受かった。受験は所詮、結果が全てなのかもしれない。
ふと見ると、消しゴムがひとつ落ちているのに気がついた。僕は静かに椅子を立ち、ゆっくりと歩み寄る。久しぶりに歩けたという思いが、頭を占める。長い時間、音も立てずに座っているのが苦痛で仕方がなかった僕は、必要以上に時間をかけて消しゴムを拾った。近くの席に座っている受験生に無言で確認を取り、机の上に置いてあげる。受験生は僕に頭を下げた後、すぐに問題に戻った。僕は、なんとなく興味を持って彼の手元にある解答用紙を見る。
その紙は、ほとんど白紙だった。
僕はゆっくりと椅子に戻り、腰掛ける。Sがうらやましそうに僕を見てくるので小さい笑みを返してやると、Sはいかにも悔しそうな顔を浮かべた。その目が「次は俺が行く」と告げていたので、僕は無言でうなずき、視線を受験生たちに戻す。
先ほどの受験生を見ると、後ろからでわかりづらいが、どうも手が止まっているようだ。問題が解けなくて、どうしていいのか困っているのだろうことが手に取るようにわかる。僕は黒板に書かれた席の表を見て、彼の受験番号を確認する。二四四番だった。
しばらく彼の姿を眺めていると、彼のひじが動き出したのがわかった。なにやら文字を書いている動作だ。どうやら、解決の糸口がつかめたらしい。なんとなく、僕はほっとする。そして、自分の受験のときを思い出す。
僕は算数が得意だった。今でもその名を変えた「数学」は得意科目といっていい。だが、受験のとき、一問だけ解けない問題があった、はずだ。
その問題がどんなものだったか、もうはっきりと覚えていない。解けた問題の方はよく覚えているのに、解けなかった問題は思い出せないのだ。入学後、新しく出来た友達とちょくちょく受験問題の話をしたが、結構解けたという奴が多くて驚いた覚えがある。それなのに、今になってはもうどんな問題だったかも思い出せない。忘れた理由は、きっと憶えている必要がなかったから。
でも、解けなかったときの焦りはよく覚えている。どうして解けないんだ、早く解かなくてはいけない、だがどうやって。そんな思いが僕を突き動かした。結局、僕は思いつくままに答えを記入して終わった。正解ではありえなかっただろう。あのときのパニックは、それ以後経験したことのないほどのものだった。合格発表のとき、いつも受かると豪語していた僕は、合格を確認したとき不覚にもほっとしてしまった。それはおそらく、心の隅でこのことが気にかかっていたからだろう。ほっとして、初めて自分が不安だったことに気がついたほどのわずかな不安。しかしそれは、とても大きかったのだ。
だからそれを抜け出せたらしい二四四番の子を見て、どうも親近感を覚えた。時計を見ると、まだ十分に試験時間はある。受かってくれるといいな、僕は思う。それで春、入学式の後で彼を探し出し、声をかけるのだ。「僕、君の受験会場で試験監督の補佐をやっていたんだ。入学、おめでとう」と。彼はどんな顔を浮かべるだろうか。おそらく、戸惑いが浮かぶだろう。僕はさきほど見た彼の顔を思い出そうとするが、はっきりとは思い出せない。ほかの受験生たちと同じ、深刻な雰囲気だけはよく憶えている。それが入学の喜びで満たされているというのは、ほほえましいものがある。僕よりも三つも年下なのだ。こんなところでテストを受けているより、春の日差しの中で駆け回っている方がよほどふさわしいじゃないか。いや、それは二四四番だけじゃない。出来ることならこの会場にいる受験生の顔と番号を覚えて、入学式にその顔を拝みたい。そんな想像が膨らんだ。見事両親の期待に答え、誇らしげな顔。入学祝に買ってもらった新品のバッグや腕時計が、それを彩る。そういえば、今ポケットに入っている僕の財布も、入学祝に買ってもらったものだった。
すこし音がしたことに驚き、横を見ると、Sが立ち上がっていた。どこかで鉛筆か何かが落ちたのだろう。僕は教室の床を見回す。どこにあるのかを確認して、僕は反射的に声を出しそうになった。二四四番の少年が、再び消しゴムを落としていたのだ。
これでまた焦らなければいいが、僕はそんなことを思った。おそらく彼は、思いついた解答の糸口が消えないうちに問題を解こうとして、手元がおろそかになってしまったのだろう。きっと彼の頭の中は、解いている問題で一杯になっている。当然、ほかの受験生たちもそうだろう。どうも僕は、二四四番を贔屓してしまっているようだ。
僕は視線を床から二四四番の背中に移す。小さい背中だ。ほかの受験生と重なってしまい、その体は右半分しか見えない。だがそれだけでも十分手を動かしていることは伝わってきて、僕は心の中で応援する。テスト時間はまだあるものの、やはり時間は流れる。その速さに、僕は心配になる。彼は、この会場にいる受験生たちは、悔いが残らない程度に問題に取り組めているだろうか。
僕は二四四番から視線を離し、ほかの受験生たちの背中を見た。全体的に、焦燥感が増しているような気がする。終了時間の近づきと、それは比例しているようだ。一人一人の背中を見て、心の中で応援の言葉をかける。そしてふと、二四四番の背中に視線を戻し、あることに気がついた。
試験に取り組む姿勢は、個人個人で差がある。やや左に傾いている受験生もいれば、猫背になっている受験生もいる。各々、自然に集中しやすい体勢を取るのだろう。それは理解できた。だが、そう考えると二四四番の後姿は、異質なものだった。
落ち着きがない。最初に見たとき、僕はそんな印象を受けた。あの白紙に近かった解答用紙を考えれば、そわそわしてしまって当然だろう。そう考えた僕は何の疑問も抱かなかった。
然るに今、問題に一心不乱に取り組んでいるはずの二四四番の背中は、やはり揺れ動いていた。手の動き、首の動き、どれをとっても安定しない。その状態が彼にとって集中できるものとは、とても思えなかった。教卓の椅子に腰掛けている教師も、ちらちらと彼の様子を伺っているようだ。この教師はうちの学校に来て、もう十年以上というベテランだ。その人から見ても、彼の姿には違和感があるということだろうか。
カンニング。僕はその言葉を導き出すのに、妙に時間が掛かってしまったようだった。試験が解けなくて切羽詰った彼は、消しゴムを落とした。それを拾うふりをして、隣の受験生の手元を覗き込む。消しゴムは僕とSが拾ったが、あの二回しか落としていないとは限らない。それに、監督補佐が消しゴムを拾う際に、落とし主が監督補佐に目をやる。つまりは横を向くことは、不自然じゃない。僕らがしゃがんで消しゴムを拾うとき、彼がどこを見ていたかなんてわかりようがない。妙にそわそわして見える動きは、隣の受験生の様子を伺うために・・・?
ここまで考えながらも、僕にはその行為が「悪」とは思えなかった。不安と焦りに駆られ、その発想にいたるのは自然な成り行きに思える。彼が悪いわけじゃない。問題なのは、彼の不安を煽る、今の学歴至上主義ではないか? 小学生に降りかかる、背負いきれぬプレッシャー。親の期待か、塾の先生の期待か、それとも自分自身に抱いてしまった期待か。もし最後のものだとしても、それは彼の責任ではなく、やはり小学生にそんな発想を抱かせる環境が悪い。僕にはそうとしか思えなかった。
視界の隅で何かが動いた。見ると、Sが指で二四四番のほうを示している。Sもカンニングの疑惑に気がついたようだ。僕とSは示し合わせたように教師に視線を送るが、教師は小さくうなずいただけで、行動は起こさなかった。授業中には奥さんの話ばかりしているその顔が、いつになく真剣だ。時計を見ると、あと五分ほどで終わる。ほかの受験生への影響を考えて、算数の試験終了後に行動するつもりなのだろうか。
永遠かと思われるような時間がたち、ベルの音とともに試験は終わった。教師は立ち上がって受験生たちにいくつかの指示を加え、その間に、僕とSは解答用紙の回収を始めた。努力の痕跡が見るだけで伝ってくる解答用紙を、集めて揃えていく。
僕は二四四番の少年の解答用紙を回収した。なぜか彼は用紙を裏にしていたので、僕はそれをひっくり返し、さりげなさを装って彼の解答を確認する。
半分方真っ白だった。いや、よくよく見ると、消しゴムをかけた跡が見える。途中まで書いて、全部消してあるのだ。雑な消し方で、端の方にかすれた文字が見える。
驚いた僕は、少年の顔を見た。その顔は真っ赤になっている。スチームのせいではなさそうだった。それを見て足を止めてしまった僕を、おびえた目で見つめ返してくる。困った僕はどうしていいのかわからず、動くことも出来ない。何か言おうとするも、声も出ない。
そのとき、教師が僕と少年に向かって声をかけた。
「二四四番くん。君、体調は大丈夫かな?」
僕は別の驚きで再び硬直した。弱弱しくうなずく二四四番の反応を見て、教師も僕らのほうにやってくる。そして少年の顔を確認し、自分の担当していた分の回収を終えたSに声をかけた。
「すまないが、この子を保健室に連れて行ってくれるか?」
Sは黙ってうなずく。それをみて、教師は少年に優しく声をかけた。
「保健室ですこし休憩しなさい。テストはちゃんと受けられるから、荷物を片付けて彼についていきなさい」
二四四番は黙ったまま、机の上の筆記用具をしまいだした。それを終えると、鞄を持ってSとともに教室を出て行った。僕はそれを眺めていたが、教室のドアが閉じ、二人の姿を見失うとあわてて解答用紙の回収を再開した。
十分間の休憩を挟んで、国語の試験が開始した。そのころにはすでSも戻ってきていたが、彼についてたずねることはできなかった。国語が終わると、社会、理科の順に試験は行われる。僕はその間中、空白になった席を見ながらずっと二四四番の少年のことを考えていた。
彼は病気だったのだ。教師がやけに深刻な顔をしていたのは、そのためだったのだろう。彼は体調が悪く、ぼんやりとした頭で試験に挑んでいた。その結果はあの通りだ。解答用紙の三分の一ほども埋まっていない、無残な結果。朦朧とした頭は体をコントロールできず、消しゴムを落としてしまう。集中できる姿勢をとる余裕なんてなかっただろう。彼に関する疑問は、これで説明できる。
その一方で、朦朧した頭が不正行為を思いつかなかったともいえない。朦朧した頭に思い浮かぶ、両親や塾講師からの期待。その期待にかなえることが出来そうにない状態で、ふと隣の受験生が目に入る。その手元にある、記入済みの解答用紙。しかし、終了直前になって自分の不正に耐えかねた彼は、それらの解答を消しゴムで・・・
僕の学校では、入試の翌日の夕方に合格発表が出る。僕はどうしても確認がしたくて、本来休みであったこの日、学校に出てきた。校門を入ってすぐのところにある掲示板に、合格者の受験番号が貼り出されている。その前に群がる、受験生とその保護者。喜びと悲しみが渦巻くその中に、僕は割り込んで受験番号を確認する。無機質に印刷された受験番号に、目を走らせる。一番、三番、四番、八番・・・二三0番、二三五番、二三八番、二四二番・・・二四七番。僕はそれをもう一度確認し、ようやく納得できた。
彼は落ちてしまっていた。体調が悪かったため保健室でその後の試験を受けた彼が、どの程度解答できたのかはわからない。今わかったことは、彼の不合格だけだ。
合格番号を確認する人ごみから抜け出し、そこにいる受験生たちを見回した。二四四番の彼はいない。あのときの体調からすると、本人が確認に来るかどうかはわからない。二月二日である今日もどこかの学校を受験していたら、体を休めたくもなるだろう。となると見に来るのは彼の両親のどちらか。彼の保護者の顔までは、さすがに想像がつかない。
僕は改めて受験生たちを見回す。泣いている者、はしゃいでいる者。僕は、掲示板の前に喜怒哀楽がうごめいているような錯覚にとらわれた。それを見るのに耐えかねて、僕は学校を出る。
校門を出たところで、どこかのテレビ局が、合格者にインタビューをしていた。毎年恒例で、たしか僕が受験した年にもやっていた。同じ校門の隅のほうから、落ちた少年とその保護者が隠れるように出て行くのが見える。笑顔で合格者にお祝いの言葉を並べるアナウンサー。取材に応じる満面の笑み。その光によって生じた影が、校門からひっそり、逃げるように出て行く。
世界のなにか、黒いものを見てしまった気がした僕は、二月の寒気の中を小走りで駅に向かう。ズボンのポケットに入れた手が、硬い財布に触れた。入学祝に、両親に買ってもらった財布。その中には、試験監督補佐へのお礼である、図書券が二枚入っている。
そうだとしてもいくらか脚色はあるかもしれないけど。
で感想なんだけど、
うーん・・・、俺も試験監督をしたせいか、小説というよりは、実話を書いた作文に見えてしまうんだよね・・・。
俺も、気になった受験生の一人の受験番号を覚えたりしてたしね。(その人は受かったようですが)
俺の場合状況を知りすぎているせいか、小説と思って読みにくいかも。
ただ、文章的には非常にいいと思うし、いい出来だと思うよ。いや、文章全然書けない俺が言うのもなんなんだけどさ。
カンニング・・・俺はカンニングしようと思ったことはなかったけど、してしまってもおかしくないような精神状態になる人はいそうだよね。
俺の場合は得意な算数はなんとか全部解けて、元々不得意な社会はいつもどおりできなかったから、パニックにはならなかったけどさ。