部室に行くと、すでに濱田が居た。退屈そうに、文庫本を読んでいる。暇なやつだ。本当はああ見えて友達が少ないのだろうか。こいつのように社交的な人間は意外と周囲から妬まれてしまい、大変なのだろうか。そう考えるとだんだんこいつが哀れになってきた。
「何読んでんだ?」
「あ、先輩。なにって、本です」
こいつもやっぱりどこかおかしいな。
「見ればわかる。一般的に、紙が束ねてあって文字が印刷されていたら、それは本だ」
「読みます?」
「いや、それはいい。タイトルは?」
「『将来性のある男を捉まえる方法』」
なんだそりゃ。
「率直でいいタイトルだな」
「なんかそっけないコメントですね」
「じゃあ、なんて言って欲しかったんだ?」
「別に、そういう意味じゃないです」
わからん。女性は理解しがたい。なんでこう、もうちょっとざっくばらんにいけないものだろうか。
「今日の部活はなんですか?」
「昨日と同じだって。言っただろ?」
「なんで実験しないんですかー。だめじゃないですかー。秋の学園祭、どうするんですか?」
「ああ、夏休みに実験すれば学園祭には間に合う。どうせうちの部に何か期待して学園祭に来るやつなんていないだろ」
「私は期待していましたよ。去年、私、化学部の発表見ましたよ? がんばってたじゃないですか」
「そりゃ現高三の話だろ? もうあの人たちはやめちゃったからな。俺はあそこまでやる気はないよ」
「先輩だって頑張ってましたよ。覚えてますもん」
「・・・なあ、濱田、いいこと教えてやろうか?」
「はい?」
「俺は、人から『頑張っていた』とか『頑張れ』って言われるのが嫌いなんだ」
「・・・先輩、ひょっとして怒ってます?」
「真逆」
「怒っていないなら、なんでそんな一発じゃ変換候補にも出てこないような漢字を使うんです?」
実に複雑な突込みだ。ちなみに「真逆」で「まさか」と読む。
俺がそう言われるのが嫌いな理由は、非常に簡単だ。俺はすべてを余裕でクリアしたい。たとえ努力したとして、それを人に悟られるのは嫌だ。俺はいつも笑って余裕こいていなければならない。そうじゃないと―――
濱田は俺の表情を少しうかがった後、きわめて明るく言った。
「まあいいです。これ以上先輩の機嫌悪くしたら、それこそ実験してくれませんから」
「実験か・・・何でお前は自分で実験しないんだ?」
「面倒だからです」
「おまえなぁ・・・なんで化学部入ったんだ?」
「私、理系の男を捉まえる予定なので、都合がいいかと思いまして」
一瞬、うまい冗談を言ったものだと思ったが、先ほどの書名を思い出すと、あながちうそではないのかもしれないと思い当たった。そりゃあまた・・・
「化学なんてものに精を出す者は、大抵ろくでなしだ」
「じゃあ、精を出さない先輩は、ろくでなしじゃないんですね?」
「それは俺には答えられんよ。お前が自分で判断しろ」
しばし迷った後、濱田は口を開いた。
「・・・ややろくでなしですね」
「そんなところだろうな」
俺はこれで会話にひと段落がついたと思ったのだが、濱田はまだまだ話しかけてくる。
「柴田先輩はどうしたんですか?」
「ああ、やつは森井女史と話していたから、遅れるだろうよ」
「あの二人、仲いいですねぇ。見てて恥ずかしいぐらい」
「まったくだ」
「先輩は?」
「は? 俺がどうしたって?」
「彼女、いないんですか?」
「俺の知る限りでは居らんよ」
「知らないところではいるんですか?」
「知らん」
馬鹿なことを聞くやつだ。知らないところでいるかいないかなんて、質問の文章を見ればわかりそうなものだ。知る由もない。
「つまんない高校生活を送っているわけですね」
「俺からすれば充実はしているが、人によってはそう思うかもしれないな。少なくとも、口うるさい後輩に捕まって長話をするのは詰まらん」
「ひっどーい。そこまでいわなくたっていいじゃないですか!」
「なら、少しは黙っておけ。沈黙は金だ。べらべら話してたってしょうがない」
「じゃあ実験しましょう」
「一人でやってろ」
自分でも、自分の機嫌が悪いことが客観的に理解できる。俺もまだまだ修行が足りないな。濱田程度の者の発言を気にしてしまうとは。
俺は鞄から持ってきた本を取り出し、読み始めた。しばらく無言の時間が続き、濱田は口を開いた。
「先輩って私のこと嫌いですよね?」
「愚問だな」
「・・・先輩に彼女なんてできるわけがないですよね。ここまで言い切る人、滅多に居ませんよ」
「個性は互いに尊重しあおうじゃないか」
「わけのわからない提案を・・・そうですよ。部室の掃除をした件、褒めてくれたっていいんじゃないですか?」
俺はその言葉で顔を上げ、部室を見回した。確かに若干きれいになっているような気がしないこともないと言っても過言ではないと言うのは吝かではない。だが、だ。
「お前がしたいから掃除をしたんじゃなかったのか? 褒められたくてやったのか?」
「別に褒められたかったわけじゃないですよ。だからってそんな冷たいこといわないでもいいじゃないですか」
「ああ、じゃあ褒めてつかわす」
「・・・全然褒められた気がしません」
「奇遇だな。俺もなんとなく、褒めた気がしない」
この日の放課後は、その後も何もせずに終わった。
絡んできますなあ、濱田さん。絡めば絡むほど味が出てきてます。