最近、短編の方を全然アップしていませんでしたね。
そもそも小説自体アップしていませんでしたが。
今回は今までと文体が若干違いますが、
おそらくこの文体が嫌いな方も多いでしょう。
でも僕は好き。
*
アブラムシ。いや、アリマキと呼んだほうがいいのだろうか。その植え込みには、びっしりとアリマキがたかっていた。ほんの一ミリほどの大きさの、緑色の虫がびっしりと。絶え間なく動き続け、ぱっと見では枝が蠢いているようにも感じられる。
アリマキという名を字引で見てみると、「蟻巻」となっている。アリマキは植物の体液を栄養とし、農作物に被害を与える「害虫」である。しかし、アリマキはその体から蜜を分泌する。その蜜が蟻にとっては食料となるため、アリマキのいるところにアリはつき物だ。アリに取り巻かれるという意味で「蟻巻」であろうと推測はできるが、「蟻牧」と考えることも可能だ。蟻にとってのアリマキは、人間にとっての家畜に近いものがあるのではないだろうか。蟻はアリマキを管理し、その蜜を採取する。人間が乳牛を育て、その乳を搾るように。
ともあれ少年は、枝の表面に蠢く緑色の虫を眺めていた。アブラムシという別称を考えると、その体内には油があるのであろうか。もし、今ここでこの植え込みに火をつけたとしたら、勢いよく燃え上がるであろうか。それとも、いくらかの虫の焼ける臭いがした後、アリマキの持つ水分、もしくは植え込み自体の持つ水分によって火は弱まり、消えてしまうのであろうか。
少年は手を伸ばし、数多いるアリマキを一つまみだけ取った。その動作だけで、すでに何匹かつぶしてしまったようだ。手がどことなくべたつくように感じられながらも、少年は生きている虫を観察する。よたよたと歩くだけの、小さな虫だ。あの数だからこそ圧巻するに値するのであって、これだけの量ではあまりにも弱い。アリマキ自体の生存能力はきわめて低く、捕食者であるテントウムシの格好のエサとなっている。だが、アリマキが滅びることはない。その繁殖速度は、目を見張るものがある。その数によって、アリマキは生き延びていく。
それでも、個々のアリマキはこれほどまでに弱い。種として見れば生き残っているが、それは多くの犠牲の上に成り立っているだけだ。
少年は指に乗ったアリマキをしばらく眺めた後、つぶした。手にちょっとした感覚はあるが、命を奪ったという実感は起こらなかった。一寸の虫にも五分の魂。では一寸にも満たないこのアリマキたちには、如何程の魂があるのだろうか。少年は指をズボンでこすり、それでもまだべたついているような気がして、手を洗いに校舎に戻り、トイレに入った。
手についた水を払い、トイレから出る。その手はもう汚れていないのだろうか。それとも、アリマキの体液はそれと気づかずに皮膚にしみこんでいるのだろうか。少年は自分の手をじっと見つめた。
「なにぼーっとしてんだ?」
クラスメイトの声に、少年は必要もなく慌てた。
「あ、あ、その・・・」
なにか言おうと必死になりながらも、焦れば焦るほどどもりがちな声になってしまう。これは少年のクセといおうか、体質的なものであった。普段はさほどどもりもしないのだが、緊張したり驚いたりすると、急に声が出なくなる。クラスメイトもそれを心得ており、少年の言葉を待たずにさっさと彼の前から去ってしまった。少年はクラスメイトの後姿を名残惜しげに見つめ、それ以上の行動はせず、あきらめたように教室に入った。
少年は学校というものがあまり好きではなかった。入学当初は喜んで通っていたのだが、小学六年になった今、通学は彼にとって苦痛に他ならなかった。なぜそんな変化が起きたのかは、少年にもわからなかった。そもそもその変化が、少年に起こったのか、あるいは少年を除く環境に起こったのかすら、判然としなかった。
それでも少年は、おそらく自分が変わったのだと思っていた。昔はこんなにどもってしまうこともなく、普通に会話できていたのだ。いつからこんなことになってしまったのだろうか。それが判れば、ひょっとすると先の疑問の答えが出せるのではないだろうか。
この考えが何の発展性もないということに、少年は気づいていなかった。それは確かに原因を解明するかもしれないが、少年の頭にその先はなかった。原因がわかったところで、少年のどもりが治るかは定かではないし、彼が学校に対して抱いている気持ちに変わりはないだろう。
少年は手を執拗にズボンにこすり続けながら、窓際の席に着いた。さりとてやることもなく、ぼんやりと窓の外を見つめる。春の陽は心地よく、少年はなんとなく気分が緩んだ。休み時間はまだまだあるが、終わりまでそのままの姿勢で日を浴びていそうだ。
しかし、その穏やかな時間は、クラスの女子によって妨げられた。ショートカットの、いかにも気の強そうな娘だ。腰に手を当て、体全体で怒りを表している。少年はその剣幕に驚き、どもりながらも何か言わないといけないような気がして、必死に喋ろうとする。
「あ、ああ、あの、な、なに?」
「なに? じゃないでしょう、なに? じゃ。あんた、今日ウサギ小屋の当番でしょ?」
「あ・・・ご、ごごごめん。わ、忘れてて」
少年は、クラスで生き物係という役をしていた。学校で飼っているウサギはクラス交代で管理されているのだが、今週は少年のクラスがウサギ小屋の掃除当番だった。
「ご、ごごめん。すすすすぐにやるから」
少年は慌てて立ち上がった。椅子が床にこすれる音がして、それにびくついてしまう。女の子は少年のおびえたような姿を見て、満足そうに少年の席を離れていった。少年はなにかいってやりたいような気分に襲われたが、悔しそうな顔でウサギ小屋に向かった。
春とはいえ、すでにずいぶん暖かい。そのせいか、ウサギの糞や尿の臭いは耐え難いほどだった。生き物係は、本当はもう一人いるはずなのだが、ウサギ小屋にはいない。大方、仕事忘れて遊んでいるのだろう。いや、意識してサボっているのかもしれない。
少年はいくらか怨念じみた視線をウサギたちに向けた。小屋の床とは裏腹にあざやかな白いウサギと、床に溶け込むような茶色をしたウサギが、二羽ずつ飼われている。どれがオスでどれがメスだったかは、少年の記憶になかった。それぞれに与えられている名前も、少年は一つも覚えていなかった。少年が生き物係などという仕事についてしまったのは、そのどもりが災いし、自分の希望を述べられなかったことにある。発言しない者はどの係りでも構わないのだろうとみなされ、最後に残った生き物係に回されたという次第だ。
少年はウサギたちを小屋の端に寄せ、一人きりで掃除を始めた。その床を掃くたびに刺激臭が巻き上がり、少年は吐き気を催した。自分ひとりでやりたくもない掃除をやらされているということに、だんだん怒りのようなものがこみ上げてきた。かといってそれをぶつける相手も居らず、居たところで少年にその怒りを上手く表すことは出来そうにもない。それが判っているから、少年は黙々と掃除をした。
掃除は十数分で終わった。ずいぶん雑ではあったが、少年にそれ以上のやる気はなかった。おそらく今週一杯、少年はひとりでウサギ小屋の掃除をすることになるだろう。そんな漠然とした予感があった。今日掃除の手を抜いても、明日になったら再び掃除をしなければならない。どのみち、楽をすることはできないのだ。
ウサギを小屋の中に放し、少年は小屋から出た。ふと自分の手を見ると、茶色く汚れてしまっていた。臭いをかぐ気にもじっくり眺める気にもなれず、少年は手を洗うため校舎に戻ろうとする。そのとき、植え込みが再び目に付いた。
相変わらずびっしりと、アリマキが枝の表面で蠢いている。少年はそこに手を伸ばし、細い枝を指で握り締めた。アリマキが潰れ、指の腹にべっとりとした感覚が広がる。
そのとき、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。少年はゆっくりと手を放し、アリマキを潰した指を眺めた。大量のアリマキの死骸の中で、関節のしわの辺りにでも入って生き延びたと思われる個体がいくつか、弱々しく動いていた。