最近、吉行淳之介の小説やらエッセイを読み漁っています。
やっぱりこの時代の人たちの文章はすばらしい。
といっても僕は現代の人の小説を全然読まないのだが。
さて、ということで文体模写でもしてみますか。吉行淳之介はまだ無理ですけど。
先日から「学園コメディ小説」と銘を打って
エイプリルフール小説を書き始めた。
こういう文章を書くのは勢いが肝心であり、日によっては一枚もかけぬことがある。
思い起こせば前回の
ホワイトデー小説のときもそうであった。
どうも私には学習能力が足りないようだ。
締め切りというものを自分で設けるのは、いくらか被虐的なものがあるように思える。
こういったときに自分の性質を感じることになるとは思いもしなかった。
短編では特に問題にもならないのだが、現代の小説は昭和のそれと違い、
携帯電話やパソコンといったものがある。
これを使わぬ現代人はそうはおらぬから、小説に登場させることになる。
だが、どうもこういった文明の器具は文学に似合わない。
ちょっと前に武者小路実篤の「愛と死」という小説を読んだ。
若い小説家が婚約者を残してパリに半年間遊学に行くのだが、
そのときに交わされる手紙や電報に、非常に味がある。
メールでやり取りできる現代に、この小説は生まれようがない。
文明は確かに生活を便利にしたが、こういった「味」を奪っていったのは確からしい。